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-ガク-雪宮麗華①

その時は、思いがけず早くに訪れた。 『僕の家で、会って話せないかな』 イオリからそんな連絡が入り、ガクは事態が大きく動いていることを知った。 『僕の妻と、妻の恋人と、四人で話したい』 まさか、向こうも恋人を連れてやって来るとは思っていなかったが、話は早いかもしれない。 むしろ、世の中では不倫している人間が、交際相手に『妻(夫)とは離婚する』と言ったっきり、なかなか実際に離婚するまで進展しないという事例はよく聞く話だ。 ガクは、こんなに早くにイオリが話し合いの場を提案して来たことに驚きつつも、信頼を感じた。 ガクは次の休日、普段よりちょっと質の良いシャツとジャケットを身に付けて家を出た。 ジャケットを着るには少し暖かすぎる気温ではあったが、由緒正しい音楽一族・雪宮家に上がるにあたり、外見から信頼を失ってしまうのは避けたいという気持ちがあった。 実際、仕事をしていると、どんなに口では高尚な事を述べている取引先の人間であっても、よれよれのシャツに寝癖姿で取引先の会社へやってくる営業マンに良い印象は抱かない。 逆にぴしっと身なりを整えた人物が話していると、凡庸な提案であったとしても、むしろ堅実そうなアイディアだとプラスの印象に変わる。 ガクは自分にできる精一杯の清潔感と上質感を演出して雪宮家へ赴いた。 神楽坂駅の坂を登って行った先に現れる、一際大きな豪邸。 人が住む街だという認識すら持っていなかったガクは、こんな場所に広々とした家を構えている雪宮家の財力に圧倒されながらも玄関のチャイムを押した。 『——今開けるね』 インターホン越しにイオリの声が聞こえた。 ほどなくして中からカチャリという音が聞こえ、扉の先からイオリが現れた。 「来てくれてありがとう。 ——応接室で麗華が待ってるから、案内するよ」 応接室——リビングではなく、客人と会う専用の部屋があることに驚きつつ、ガクはふと気になったことを尋ねた。 「向こうの彼氏さんはまだ来てないってこと?」 「うん、さっき連絡があって、仕事でちょっとだけ遅れるって。 麗華が電話口でやり取りをしていたよ」 「他のご家族は?」 「麗華の両親はこの週末、軽井沢の方の家に行ってる。 ——いわゆる別荘で余暇を過ごしてるよ。 お姉さんは結婚して旦那さんの家に住んでいるし、お祖父様とお祖母様は、清里にある親戚の家で暮らしてる。 つまり今この家に居るのは、僕と麗華だけ」 「そっか……」 ガクはごくりと生唾を飲み込むと、イオリに続いて応接室へ向かった。 「お待たせ」 イオリがそう言った後、ドアを開く。 するとそこには、優雅にハーブティーを飲みながらソファに腰掛ける麗華の姿があった。 麗華はガクの方に視線を向けると、目を僅かに見開いた。 「……男性だったの。伊織の好きな人、って」

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