140 / 200
-ガク-2月のセレナーデ②
「うわー。5階席まであるのか!でか!」
ホールに入ると、その規模に目を丸める。
「東京芸術劇場だって、これくらいのキャパだったよ」
イオリが言った。
「イオリと麗華さんのコンサートをした場所だよな。
あの時は一番前の席だったし、気持ち的にも後ろの方まで見渡す余裕がなかったんだよ」
ガクはそう言いながら、自分たちの座席を探した。
「あっ、ここだ。……んー、2階席なら、まあまあ……?」
「どの席でも音の聞こえ方には配慮された造りにはなってるはずだけど。
まあ『良席』と呼ばれるのは一階の前方中央寄りであることは多いね。
この辺りの席はS席とかA席とか、金額が釣り上げられることもよくあるし」
「へーっ、座席によって金額変わるのは、バンドとかアイドルとかのコンサートと一緒なんだな」
「2階席より上は、音はともかく演奏者の顔はよく見えないこともあるから、演奏者をしっかり観ながら鑑賞したい人はオペラグラスを持参するね」
「オペラグラス!?なにそれ、なんかかっこいいな」
ガクが言うと、イオリは鞄の中からスッと何かを取り出した。
「……双眼鏡?」
「オペラグラス。貸してあげる」
「おおー!これが噂のオペラグラス!」
ガクはイオリからオペラグラスを借りると、わくわくした様子で中を覗き込んだ。
まだステージには誰もいないが、予めセッティングされた座席やピアノなどは、グラスを通してみると鮮明に見ることができた。
「ありがと。これ、交代で使お」
「ガクが持ってていいよ。
僕は別に、演奏者にそこまで注目して鑑賞しようとは思ってないし」
「えー、それ言ったら、俺だってイオリが出てないステージをガン見する意欲はないよ」
「じゃあ返して。プロのバイオリニスト達の演奏する姿を見てるだけでも参考になるから」
イオリがガクの手からオペラグラスを抜き取ると、ガクはむっと唇を結んだ。
「えー……。ガク、演奏中ずっとそれ覗くの?
俺のこと無視して?」
「演奏中に隣の席を凝視してるほうがおかしくない?」
「そりゃ、そうだけど。
なんかそれを両目に当ててると、隣で取り残されてるような放置感がある」
「……交代制にしようか」
イオリは呆れたようにため息をつくと、パラパラとプログラムを開いた。
「知ってる人、いる?」
「……この指揮者とはコンサートで一緒になったことがあるかな。
あと今日のコンミス、藝大時代の先輩だ」
「マジで!?——って」
ガクは、イオリが出演者達と共演したことがあるということに興奮しつつも、ふと首を傾げた。
「『コンミス』?
……ガクが藝大のコンサートで務めていたのって、たしか『コンマス』だったような……」
「コンマスはコンサートマスター。コンミスはコンサートミストレス。
男性が務めるか、女性が務めるかの違いだけ。
まあこの男女での呼び分けも、時代の流れで淘汰されていきそうだけど」
「そうなんだ、勉強になる」
ガクも、受付で渡されたプログラムを開いてみる。
曲目一覧のほかに、今日演奏するオーケストラの代表者の挨拶や、メインの演奏を担う何名かのメッセージが載っている。
そして『如月奏メモリアルコンサート』の名がつくように、如月奏の顔写真や経歴なども詳しく紹介されていた。
「如月奏ってさ——ちょっとイオリと似てない?」
「え」
イオリは如月奏の顔写真をまじまじと見つめた。
「似てる?」
「似てる。二人とも色白で目鼻立ちが整ってて、華奢な感じとか。
顔が瓜二つとは言わないけど、雰囲気が近い気がする。太陽か月かで言えば、月みたいな」
「……似てる、かなぁ……」
「イヤだった?」
ガクが訊ねると、イオリは緩くかぶりを振った。
「ううん。自分が尊敬する人物に似てるって言われるのは嬉しい」
イオリが唇の端を上げてそう答えた時、辺りの照明が落ち、開演のブザーが鳴った。
ともだちにシェアしよう!

