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-ガク-2月のセレナーデ⑥

「え!……俺がですか?如月奏の想い人に?」 ガクが思わず声を漏らすと、早苗はこくこくと頷いてみせた。 「今日この席に座った時から、隣で二人が話している雰囲気で感じてたんだけど。 そーちゃんと皐月くんも、あなた達みたいに仲睦まじく過ごしていたなって。 ——あーもう、ダメね!今日は泣いてばっかり! それに初対面のあなた達にこんなこと話したって、困惑させちゃうだけね。 もうさっさと帰ってお酒飲もっと」 早苗は荷物をまとめながら、呆然としているイオリに言った。 「藝大の先輩が出ているって話してたわね。 あなたも藝大出の音楽家さんなの?」 「……バイオリニストをしています。 個人でコンサートをできるような知名度や技術はありませんが」 「知名度はわかんないけど、バイオリンの技術は日本一ですよ!間違いなく!!」 横からガクが声を張り上げると、イオリは少し恥ずかしそうに俯いた。 「そう。バイオリニストなの。 ——じゃあ縁があれば、一緒に働けることもあるかもね。 私の名刺を渡しておくわね」 早苗が渡して来た名刺には、大手のマネジメント事務所の表記がされていた。 如月奏も生前所属していた事務所である。 元々は小さな事務所だったらしいが、如月奏の名が世に出るようになってからは、音楽専門のマネジメント事務所としては最大手にまで成長したと専らの噂だ。 「私、そーちゃんのマネージメントが終了してからのここ数年は、スカウトの方もやっているの。 もしあなたさえ都合と条件面が合えば、いつか私の依頼も受けてもらえたら嬉しいわ」 「ですが——あなたは僕のバイオリンを聴いたことがない……ですよね? バイオリンの腕も確かなのか分からない僕に、案件を回してくださる可能性があるのですか?」 イオリが動揺を隠しきれない表情で訊ねると、早苗はウィンクをしてみせた。 アイメイクは完全に取れてクマっぽくなっていたが、愛嬌たっぷりのその表情は可愛らしく見えた。 「あなたの腕は、連れの子が保証してくれるんでしょ? 『日本一のバイオリニスト』だって!」 ——会場を出た後、イオリは何度も名刺を取り出しては確認していた。 「本物の名刺だ……」 「しかも如月奏が所属してた事務所!やったじゃん、イオリ!」 ガクがイオリの背中をポンと叩くと、イオリは嬉しそうに微笑み、大切に鞄へしまった。 そして、ふと思い出したように言った。 「……早苗さん、元気になるかな……」 「大丈夫でしょ。旦那さんもいるみたいだし。 マネージャーができてスカウトもできるなんて相当仕事もバリバリこなしてそうだし。 きっと音楽を聴いてセンチメンタルになっただけで、明日からはまた元気に暮らしていくと思うよ」 「だったら、いいな……」 早苗と別れた後も、早苗のことを気にかけているイオリの優しさが、ガクの胸に響く。 俺も泣いてる早苗さんを見て思わず声かけちゃったけど、イオリはハンカチを差し出して、別れた後も心配して……優しいよなあ。 俺は会社で落ち込んでたり、たまにだけど泣いている同僚を見かけたら、励ましたりご飯に誘ったりはする。 でもその後のフォローまでやり出すと、自分のキャパじゃ背負いきれなくなるから、一定以上からは線を引くようにしている。 そうやって要領よく生きようとするのは、なにも今に始まったことじゃない。 中高や大学ではクラスの中心にいるような明るくてノリの良いグループに属して、 会社では部内外の人達と幅広いコミュニティを形成して。 それもこれも、自分がやりやすく、生きやすくするために意識して選択して来た行動の連続だ。 でもイオリには、そんな打算がない。 だから出会った頃——まだ俺を警戒していた頃のイオリは素っ気なかったし、 今だって自然と笑みが溢れる時以外は基本的に無表情だ。 だけど、そんな飾らないイオリと居るのが楽で、心地良い。 そんなイオリだからこそ、俺はずっと、会えない時間さえもイオリを想い続けてきたのだろう。 今はまだ、帰り道に手を繋ぐようなこともできないもどかしい距離だけど、 いつか堂々と、また交際できるようになったら…… イオリの手を握って歩けるようになりたい。

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