157 / 200

-ガク-両親⑧

「ばかばかしい」 父親は再びソファに深く持たれると、足を組み、イオリを見下ろすように言った。 「お前が私達の監督下から逸脱するというのなら、お前は息子としての価値を失うということだ。 金銭の援助も財産分与も一切しない。 そしてお前の仕事関係の繋がりも、全て潰す。 これは脅しではない」 「……お言葉ですが、父さん」 ガクの言葉に安心感を得たのか、イオリの声には先ほどよりも張りが生まれていた。 「父さん達が常日頃から誇りとしている財力は、おばあちゃんが遺してくれたものでしょう」 イオリの言葉に、ガクは目を丸めた。 えっ。そうなのか……? 目の前にいる二人が音楽活動を通して稼ぎ出したものでは無かったのか? 「父さん達と会うのはこれが最後になるかもしれないので、言わせてください。 この家も、父さんの所有するバイオリンの名器も、母さんが教室で使っているグランドピアノも—— 全部、おばあちゃんが事業に成功して作った財産で買い与えてくれたものですよね」 「な……」 母親が声を詰まらせる。 「おばあちゃんから聞いたので、僕知ってます。 父さんは共演者から嫌われることが多くて、共演NGが何度も言い渡されてきた結果 日本で演奏できる機会が減ってしまったから、父さんをよく知らない海外の人向けの公演を受けるようになった。 母さんはピアノ教室に継続して長く通ってくれる生徒が少ないから、おばあちゃんの遺産を切り崩しながら経営してる。 ——おばあちゃんの遺してくれたもの、買い与えてくれたものが無かったら、裕福な暮らしなんて出来るはずなかった。 ……僕自身、自分がたいして稼げるわけでもないのに、その裕福な暮らしに乗っかり続けてきたことも事実です。 それに、これからはガクのお世話になることも沢山出てくるかもしれない。 だけど……少なくとも僕は、おばあちゃんに感謝してる。 ガクに感謝を伝え続けたいと思う。 父さんと母さんは——おばあちゃんに感謝してた……?」 「——出ていけ」 父親が静かな声で言った。 「勘当だ。二度とこの家の敷居を跨ぐな」 「っ、でも、あなた——」 母親は驚いたように父親にすがった。 「せっかく——せっかく理想通りの子どもをここまで育ててきたじゃない! あれだけの手間とお金を注ぎ込んできた子じゃない! 今からでも離婚を踏みとどまらせて、もう一度『躾』直せば、またバイオリニストとして——」 「もう、いい。この男には、バイオリニストを名乗る資格はない。 大勢の前で弾くことを簡単に諦め、たった一人のために弾こうなど、ただの道楽ではないか。 道楽でしかバイオリンをやらない人間を再教育する価値はない」 父親が言い捨てる。 「……せっかく……せっかくここまでやってきたのに……」 母親は悔しさを滲ませるように俯いた。 「あなたが……あなたがバイオリニストとしてそこまでうだつが上がらないから、 せめて伊織だけは著名なバイオリニストとして名前を残して欲しかった。 名バイオリニストの妻になれなかった代わりに、名バイオリニストの母になろうと夢見ていたのに……」 「な……!」 母親の言葉に、父親の目の色が変わる。 二人の間には、もはや一触即発の空気が出来上がっていた。 「そもそも……! お前がピアノ教室を始めてみたいなどと言うから、私の母さんの遺産を多く使わせて開業させてやったというのに。 うだつの上がらないバイオリニスト呼ばわりか?」 「偉そうにしないで! 今あなた、自分で『遺産を使った』って言ったじゃない! ……私だって……私だってねえ、あなたが沢山稼いでいるものだと思って嫁いできたのに、自分の母親のお金をひけらかしていただけだったなんて! こっちは被害者なのよ!?」

ともだちにシェアしよう!