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-ガク-両親⑨
夫婦間で醜い応酬が続く。
イオリはどうやら、触れてはいけないことのスイッチを押したらしい。
意図的なことか、予想外の反応だったのかは分からないが、イオリはずっとこれを彼らに言いたかったのだろう。
今の暮らしがあるのは、父と母のお陰ではなく、祖母が遺してくれたものなのだと。
「——ガク」
イオリは、互いに罵り合う両親を尻目に、こそっとガクへ耳打ちをした。
「出よう」
「!……いいのか?」
「多分どこまで話し合っても、この人達と分かり合える時は来ないだろうし。
勘当ってことは、好きにしていいってことだよね?」
「……イオリが構わないなら。
できることなら、両親にも認めてもらえるのがベストだと思ってはいたけども」
「もういい。……本当に、どうだっていいよ」
イオリは立ち上がると、ガクの手を引いた。
「あっ!待ちなさい、伊織——」
手を掴もうとしてくる母親の手を、ガクは無言で払い除けた。
「っ!あんた、何の権限があってそんな——」
「イオリはもう勘当されて、あんたらの子じゃなくなったんだろ。
なら、俺もあんたらに気を使う必要ないよな」
「……っ。伊織」
母親はイオリの方を見た。
「私達とあなたは、ちゃんと血が繋がってる。
あなたを導いてあげられるのも、あなたを助けられるのも家族だけ。
そんな得体の知れないゲイについて行くなんて、あなた気が変になってるのよ」
するとイオリは、母親を見つめ返した。
感情の籠っていない、冷たい目。
氷のように冷ややかな視線に、母親はびくりと肩を揺らす。
「僕に流れる血は、僕だけのもの。
僕は人に導かれるだけの生き方をしたくないし、助けを求めたりしない。
それから——僕だってゲイだ」
——イオリに手を引かれ、玄関を出てそのまま駅の方まで歩いてきた二人。
ずっと無言で歩き続けていたイオリは、駅の改札を越えたところでようやくガクの手を離した。
「……イオリ、大丈夫?」
「……怖かった……」
イオリの首筋からはダラダラと汗が流れ、シャツの襟を濡らしていた。
「緊張したし、泣きそうになった。
うまく喋れないし、呼吸すらままならなかった。
でも——これでもう僕は、あの二人の顔色を伺いながら生きていく必要はなくなった」
「そうだよ。理解は得られなかったけれど、代わりに自由を手に入れたんだって思う」
ガクが微笑んでみせる。
「イオリ、よく頑張ったね」
「……もう二度と、こんな汗を流すのは御免だよ……」
イオリはハンカチで汗を拭きながら、ホームの時刻表を見た。
「あとは、これから家に帰って——離婚届に判を押して、それを役所に受理してもらったら終わり。
全部終わりにできる」
「全部じゃないでしょ」
「え?」
その時、ホームに電車が侵入してきた。
「俺とイオリは、ここからまた始められる、だろ?」
そう言ってガクは、自分の家の方角に続く電車に乗り込んだ。
「またな、イオリ。次会う時は——独身同士で会おうな」
「……またね」
イオリが見送る目の前で、自動ドアが閉まった。
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