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-秋庭弓弦-ビルマの5日間⑤

僕は足早に着替えなどの支度を整え、外に出た。 すると駐屯地の敷地内にある広場で、一人の男が取り囲まれているのが見えた。 近くの兵達は、この男が食糧庫に侵入し、蓄えに手を出したのだという話をしていた。 「許してください……!どうか許してください……!!」 兵に囲まれた男が、地面に額を擦り付けながら泣いている。 見ていると、哀れみを覚える。 こんな過酷で劣悪な環境下で、いつ死ぬかもわからない、食べるものにも困る生活を送っていれば、魔が刺してしまう気持ちも理解できる気がした。 僕がそう思っていた、その時。 「腹が減ってどうしようもなく——」 「それはここにいる皆が同じ立場であろうが!」 男を尋問していた部隊長が、男の脇腹に蹴りを入れた。 「うぐっ……!」 倒れ込む男。 それを見た僕は、胃液が湧き上がって来るような気持ち悪さを覚えた。 未来の自分——イオリが、大人になるまで日々受けていた虐待。 この男と同じように、両親からお腹に蹴りを入れられることもしょっちゅうだった。 その光景がフラッシュバックしてしまい、苦しくなると同時に、沸々とした怒りも湧き起こって来た。 「隊の風気を乱す者は生かしてはおけない。 部隊長の権限をもって、この者には——切腹を命じる」 周囲がざわめく。 僕は、今しかないと思って飛び出した。 「お待ちください」 「!——秋庭……」 「切腹というのはどうか思い留まっていただけませんか」 「うん?お前は——」 「戸山学校より派遣されて参りました、軍楽隊所属の秋庭弓弦です」 「軍楽隊?他所から来たお前が、何の所以があって発言しているのだ」 何の所以? ——そう、確かに僕にとってこの男は全くの赤の他人だ。 だけど『イオリ』が経験したものと同じ境遇に置かれている彼を見たら、身体が勝手に動いていた。 「彼の行いは咎めるべきことではあるかもしれませんが、一度の過ちで厳罰に処することには異議申し立てをします」 「この者を咎めたところで、この者が食い尽くした食糧が戻ってくるわけではない。 罪を償うことが出来ぬならば、死んで誠意を見せるのが兵たるものだと思うが?」 「人ひとりであっても、貴重な戦力には変わりありません。 誠意のために切腹させるくらいならば、戦線で少しでも多くの功績を上げるよう努めさせる方が、より御国のためになると考えます」 『御国のため』 それはただの飾り言葉だけれど、その威力は身分の高い兵に対してほど発揮される。 「それから、失われた分の足しになるかわかりませんが、僕の分の食事を皆さんに分配するのでは駄目でしょうか」 僕の提案に、再び周囲がざわめく。 僕は別にもう、何も食べなくたっていいんだ。 数日後に僕の身体はもう、使い物にならなくなる。 それなら、これから先も生き延びなくてはならない彼らのエネルギーとなって欲しい。 男を拘束していた部隊長は、苦々しげな表情を浮かべつつ、最終的には僕の提案を飲んでくれた。 「……まあいい。 この男は減給処分とし、切腹は取り止めとする。 お前の食糧を分配することはない」 部隊長は、うずくまって泣いている男にもう一度蹴りを入れた。 うっ……。 僕は思わず、顔をしかめた。 僕が蹴られたわけじゃないのに、僕のお腹にも頭が響いた気がした。 男が解放され、周囲にできていた人だかりも少しずつ捌けていった頃。 「——秋庭!」 僕が軍楽隊の宿舎へ戻ろうとしていたところに、律人が駆け寄ってきた。 「さっき、見ていたぞ。アンタ一体何がしたいんだ」 「あの人が切腹させられるのを防ぎたかっただけですよ」 「それにしたって、自分の食糧を分け与えるなんてこと——そこまでして異議申し立てをすることはなかろうに!」 「軍楽隊がビルマに滞在するのは、ほんの五日程度です。 もうあと数日の間食べなくたって、死ぬことはないでしょう」 「っ……でも……」 「それに、僕は皆さんと違って三日前まで日本で暮らしていた。 春木さんや皆さんが長らく食糧難に苦しんでいる中、このようなことを言うのは不躾かもしれないけれど、日本ではちゃんと食べていましたから」 僕はそう言って、軍服の裾を捲り上げた。 綺麗なお腹だ。 真っ白な肌に、縦にすっと線が入った腹筋と、縦長のへそ。 今までの僕だったら、自分のお腹をこんな風に惚れ惚れ眺めるなんてことはしなかっただろうけれど、 『イオリ』でいた時間の記憶が長すぎて、『僕』が元々はこんな綺麗なお腹をしていたことを忘れてしまっていた。 律人は僕のお腹を凝視している。 僕はそんな彼の視線を浴びて、つい、もっと見て欲しいなんて気持ちを抱いてしまった。 『イオリ』が自信を持ってガクに見せることのできなかった場所を、律人の前で曝け出したいという欲求に駆られる。 「さっきも、今も……案外大胆なことをする性格なんだな、アンタ」 「そうでしょうか?」 「少なくとも、物腰の柔らかさからは予想出来なかった。 ——でも思えば、あんな暗い森の中に一人で入って行って、楽器を演奏してしまうくらいだから、元から大胆だったか」 そうだね、僕は今、大胆なことをしているのかもしれない。 けれどもう、先が長くないんだ。 ちょっと強引で、ちょっと急かしてしまっても…… 僕は自分の運命を間に合わせなければならない——

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