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-秋庭弓弦-ビルマの5日間⑨
ビルマで五日目となる夜を迎えた。
今夜が、生きて律人と会える最期の日だ。
——怖い。
間近に迫った死と、律人との別れ。
それから何十年後の未来で再会できると知っていても、『秋庭弓弦』としての終わりが近づいていることへの不安は日々大きくなっていく。
どうして僕は、あんな惨たらしい死に方をしなければならないんだろう。
この運命から、今すぐ逃げ出してしまいたい。
けど、逃げたくない。
その先にある未来を、逃したくない——
「弓弦、話がある」
僕が『僕』として奏でる最後の演奏を終えたとき。
律人は意を決した表情で僕に言った。
「一日、考えたんだ。
考えて、自分なりに出した結論を弓弦に話してもいいか」
「……もちろん。どんな話でしょう」
僕はバイオリンをケースの中に寝かせ、立ち上がって律人と向き合った。
「単刀直入に言う。俺は弓弦が好きだ」
律人の真っ直ぐな視線を受け、僕は全身をぞくりと震わせた。
「まだ出会ってから五日目で、こんな気持ちになっていることに自分でも驚いている。
けれど、弓弦とはもう今夜しか居られないんだろ。
このまま何も言わずに見送ることも考えたけれど、それでは俺は心のうちを見せたことにはならない。
だから俺も正直な気持ちを、率直に伝えたいと思った。
——話というのは、それだけだ」
……嬉しい。
出会って五日目の僕を、ちゃんと好きになってくれた。
ここまでの間、強引かもしれない距離の詰め方をしなかったかと、多少反省もしていた。
——こういう強引な距離の詰め方は、ガクに倣ったと思ったりしたけれど。
僕が律人に対して取った行動を、ガクは覚えていて、同じような接し方でイオリに近づいてくれたのかもしれないね。
律人と弓弦。ガクとイオリ。
僕らは互いの世界、互いの時間軸に対して、様々な影響を与え合っている。
本当に不思議な繋がりだ。
でも、律人が気持ちを宣言したあと、それで「ありがとう」と返すだけで足りるわけがない。
もう僕がこの姿で君と会うことはない。
だから最期に、一番強引で大胆なお願いをさせて欲しい。
「……それだけで、終わり?」
僕が問いかけると、律人は目を見開いた。
「僕に気持ちを打ち明けてくれて——それで終わり?」
「え?」
「……僕の気持ちは聞かなくていいんですか?」
律人は僕の言葉を聞いて少し考えた後、こう言った。
「知ったとて——だろ。
弓弦がどんな風に思ってくれるにせよ、俺と弓弦が生きて会って話せるのは、もう僅かなんだから」
ああ、そうじゃない。
君は僕が日本に戻り、自分がこの地で死ぬことを想像して話しているのだと思うけれど、逆なんだよ。
君を悲しませてしまうのは、僕の方なんだよ。
僕はたまらなくなって、律人のもとへ歩み寄った。
そして思い切って律人の胸元へしなだれかかると、勢いのままに言った。
「僅かな時間でも良い。
一生の中の、ほんの一瞬だけでも——
好きな人と想いが通じ合うのは幸せなこと。
そうでしょう……?」
そうして律人の背中に腕を回し、律人を見上げた。
「先がない相手に踏み込むのは怖いですか?」
「……」
「僕は怖くない。
——母と姉を失った時に思ったんです。
これから先、何十年と一緒に生きていけるだろうと思っていた相手でも、明日にはもう生きていないこともあるのだと。
僕自身、明日死んでしまったっておかしくない」
おかしくない、ではなく。
本当に死んでしまうことが分かっている。
だから——
「この世に永遠などというものは無い。
いずれ必ず別れが訪れ、終わっていく定めならば……
悔いなく生きられる方が、僕は良い」
僕はこの人生のすべて——そして未来の自分のすべての気持ちを乗せ、律人に伝えた。
「僕も律人が好きです」
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