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-イオリ-第二楽章⑦
「はい、もしもし」
『イオリ君、久しぶり!元気にしてた?』
——この声。過去に一度聞いたことがある。
僕は掛けてきている電話番号を確認したけれど、連絡先に登録されていない番号だった。
「ええと……」
『加納早苗です。覚えてる?一年前、如月奏のメモリアルコンサートで隣に座っていた……』
「!」
覚えてる。
僕が尊敬する作曲家、亡き如月奏のマネージャーを勤めていたという女性。
如月奏を偲び、隣の席で泣いていた彼女に、僕はハンカチを貸してあげた。
ハンカチは後日綺麗にクリーニングされた状態で届き、おまけにお菓子の詰め合わせまで一緒に送ってくれた義理堅い人だ。
「その節は……、ハンカチとお菓子をありがとうございました」
『こちらこそハンカチを貸してくれてありがと。
——突然の連絡ごめんね。
あなたとバイオリンのことでちょっと話がしたくって』
早苗さんは一度会って話せないか、と僕に告げた。
それから数日後、僕は待ち合わせとして指定されたカフェを訪れた。
未だに、ガク以外の人と話す時にはレモンティーを注文する癖が抜けない。
早苗さんを待ちがてら、レモンをこれでもかと絞ったアイスティーを、顔を歪ませながら飲んでいると——少し遅れて早苗さんが現れた。
「遅れてごめんね〜!
ここへ来る前に取引先を3件回ってきたの!」
「大丈夫ですよ、僕はいつでも暇なので。
早苗さんはお仕事忙しそうですね」
「そうなのよ〜、商売繁盛しちゃってるお陰でね〜。
部長になってから出張も増えたし……」
「早苗さん、部長なんですか」
早苗さんはコーヒーを注文すると、「そうよ」と微笑んだ。
「実は私、今の事務所を退職したことがあるの。
一度は去って戻ってきた私を部長に据えてしまうなんて、ウチって万年人手不足なんだと実感するわね」
「……業界最大手の事務所ですよね……?
社員も相当数居ると伺っています。
そんな中で部長に選出されるのは、早苗さんが実力をお持ちだからではないでしょうか」
「うふふ、おだてるのが上手ねえ」
「でも、なぜ一度離れて戻ってきたのか気になります。
伺って差し支えなければ、ですが——」
「全然平気よ!」
早苗さんは届いたコーヒーを一口含むと、これまでの経緯を話し始めた。
「私が一度仕事を辞めたのは、夫の海外赴任について行くため。
そーちゃん、『俺に付きっきりになる生活より、右京さんの赴任先へついて行った方が絶対良いよ』って何度も私を説得してくれてね。
——あっ、右京さんっていうのは私の夫ね。
そーちゃん、皐月くんが遠くへ行ってしまってから最初の頃は身体の調子を崩しがちだったんだけれど、夫の赴任の話が出る頃にはだいぶ持ち直して、バリバリ作曲の仕事を受けていたの。
私もそーちゃんに気を遣わせ過ぎてはいけないと思って、マネージメントの仕事を後任に引き継いで、それから日中は執事さんを雇う形で夫の元へ引っ越した」
早苗さんは、はじめこそ明るい調子で話していたけれど、やがて表情に陰りを見せた。
「でも——そーちゃんは、私が海外で暮らしている間に、死んでしまった」
重い沈黙が落ちる。
僕はどんな言葉をかけてあげればいいのか悩んだ。
さっきあんなにレモンティーを飲んだのに。
気の利いた言葉が一つも浮かんでこない。
そうこうしているうちに、早苗さんは再び口を開いた。
「それで——思っちゃったのよね。
やっぱりマネージャーとしてそーちゃんの公私を支えられるのは、私じゃなきゃダメだったんだって。
そーちゃんが無理をし過ぎないよう、側でセーブを掛けて、時に強い言葉で制止できるような間柄じゃなきゃダメだって。
——そーちゃんは優しいけれど気難しいところがあるから、後任のマネージャーでは『働き過ぎではないか?』って意見することができなかったみたい。
受けられるだけ仕事を受けていたのも、本人が望んでそうしていたことだけど、それがどれくらい身体に負荷をかけることになるのかを後任者も、そーちゃん本人も気づいていなかった。
……だから私、アーティストたちが自分の人生を大切にしながら音楽活動を続けていけるよう、また尽力したいと思ったの。
どんな形でもいいから、彼らを守ってあげたいって思ってね。
……そーちゃんにしてあげられなかった分まで、今生きている人達に尽くしたくて——」
早苗さんはそう言って瞳を潤ませたあと、「あっいけない」と言って涙を引っ込ませた。
「ついつい深刻に話しちゃったわ!
まあ私、夫の海外赴任中、家事ばかりの生活をしているうちに気付いたのよね。
自分は外で働いてる方が性に合うなあって。
出戻ってきた一番の理由はそれ!
誰よりもガツガツ働いてたら、いつのまにか半年前に部長へ昇格しちゃってたのよねえ」
早苗さんはそう言った後、ぐいっと身を乗り出し、僕の顔を覗き込んできた。
「ねえ——イオリくん。
イオリくんのこと、ちょっと調べさせてもらったの。
あなたは藝大でコンサートマスターを務めたほどのバイオリンの腕の持ち主なのね。
卒業後も数年間は、有名な指揮者や楽団と組んで、ゲストとして多数のコンサートに出演していた。
——それがここ一年、出演はパッタリと無くなってしまった。
……それはどうして?腕を痛めた、とか?
それともバイオリニストはもう引退してしまったの?」
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