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-イオリ-再出発④
聴き慣れた旋律。
動かし慣れた指先とストローク。
それでも、僕の手は僅かに震える。
祖母が好きだった曲。
律人と引き合わせてくれた曲。
そしてガクと巡り合わせてくれた曲——
僕にとってかけがえのないほど特別となったこの曲へ、一音も漏らさずに気持ちを乗せる。
不思議と、さっきより会場が静かになったような気がした。
静まり返った暗いホールの中は、ビルマで演奏したあの森を彷彿とさせる。
秋庭弓弦として生きた頃の僕は、家族を愛していて、バイオリンのことを愛していた。
律人に出会った瞬間から激しく恋をしていた。
対して今の僕は、血の繋がった家族への愛情は持ち合わせず、バイオリンのことも今はまだ相棒としか表現できない。
でもガクのことは愛している。
出会った当初こそ、絶対に合わない人種だと斜に構えていたけれど、
ガクとの日々を重ねていくうちに恋が芽生え、その気持ちは愛情と呼べるくらい育ったと思っている。
僕はガクへの愛情を音楽という形で表現するつもりで、『アヴェ・マリア』を最後まで弾ききった。
——会場が静まり返っている。
僕の演奏は、失敗だったのだろうか。
自分ではちゃんとやり切ったつもりでいるけれど、周囲の反応に心が左右されてしまう。
聴いている人にとって拍手する価値もない演奏だと思われたのだろうか——
僕が沈んだ表情でお辞儀をし、ステージから掃けようとしたとき。
客席の中央くらいから、一際大きな拍手が聞こえてきた。
僕はその音がする方へ視線を向けた。
——スタンディングオベーション。
たった一人の観客が、座席から立ち上がり、こちらへ向けて大きな拍手を送ってくれていた。
それから遅れるようにして、会場中から拍手が湧き起こった。
『2月のセレナーデ』を演奏した後以上の、耳が割れそうになるくらいの大きな音だった。
僕はステージの上で立ちすくみ、その光景に呆気に取られながらも、尚も立ち上がって拍手を送る人物を凝視した。
——ガクだ。
暗いし、遠いし、はっきりとは見えないけれど——あれは間違いなくガクだ。
僕は、スタンディングオベーションで一際大きな拍手を送ってくれているのがガクだと分かると、胸が張り裂けそうなくらいに気持ちが込み上がってきた。
客席に向けてもう一度、深くお辞儀をすると、僕はガクに向けて笑みを見せた。
これで前半の部は終了。
20分間の休憩が挟まれ、ステージには一度幕が降ろされた。
「素敵だったわあ〜!!」
幕が降り切り、歓談する声で客席がざわめき出した後、ステージの裏手で早苗さんが呼び止めてくれた。
「そーちゃんの音楽——心の籠った演奏を聴かせてくれてありがとう。
やっぱり、この曲をあなたにお願いして間違いなかった」
「そう思って頂けて良かったです。
それを聴いて、僕もようやく自分の演奏に自信が持てました」
僕がそう答えると、早苗さんは目を瞬かせた。
「自信が無い、なんて嘘でしょう?
あなたは今日ステージに立った誰よりも見事な演奏で弾き切っていたわ。
正直、あなたをトリにして正解だったと心から思ったもの。
——あなたの演奏の後じゃ、誰が弾いても霞んでしまうくらい、あなたはずば抜けてた」
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