192 / 200
-イオリ-再出発⑦
帰宅後——僕が海外公演のオファーをもらった話をすると、ガクはとても喜んでくれた。
「おめでとう!とうとう海外デビューか」
「一年もブランクがあったのに、僕にソロ公演が務まるか不安だけど」
「イオリのバイオリンはウイーンの人の心も掴めるよ!!
ブランクなんて感じさせない、むしろ前よりも圧倒的な演奏だったもん。
俺、感動しすぎて思わず立ち上がっちゃった」
「ああ、なんか一人だけ立ってるお客さんがいるなあと思って見てたよ」
嘘。
本当はガクだって気づいていた。
そして嬉しかった。
「今日はさ、イオリが帰って来るまでに腕によりをかけてご馳走作ったから!
毎晩遅くまで練習お疲れさまだったね!」
ガクだって普段から忙しく働いているのに。
ここ暫くは僕が遅くまでスタジオに篭っていたせいで、家事がほとんどできていなかった。
すれ違いのような生活が数ヶ月続いていたのは、ちょっと寂しく思っていた。
僕が、テーブルいっぱいに用意されたパーティーメニューに圧倒されていると、ガクはグラスにシャンパンを注いで戻って来た。
「もしかしてもう飲んでる?
終わった後、打ち上げとかあった?」
「飲んでないよ。打ち上げは後日やるみたい」
「んじゃ、俺と乾杯しよ」
「ん」
ガクのグラスと合わせると、チンという心地良い音が鳴った。
「〜〜ぷはぁ!」
「……ビールみたいに飲むね」
僕は、ガクが度数高めのシャンパンを一気飲みするのを見て若干引いた。
「そういう学生みたいな飲み方、卒業した方がいいよ」
「まあまあ。会社の飲み会はちゃんとセーブしてるから。
今日はイオリのお祝いも兼ねてるし、ちょっとハメ外させてよ」
「……僕と飲む時だけにしてね、ハメ外すの」
じゃないと、困る。
ガクはモテるから、酔ったところを口説かれたりしないか心配だ。
ガクとパートナーになって、一緒に住んでいるのに、すぐ不安になってしまう僕は未熟だなと思う。
「ガク、ちゃんと会社でペアリング付けてるよね?」
「うん?もしかして、俺が会社の人にアプローチされてないか不安になってる?」
「別に。ずっと付けてないと無くすでしょ」
「俺はずっと付けたままだよ。
——イオリはバイオリン弾くとき邪魔だからって、普段外してるけどさ」
「……今日のコンサートでは、ちゃんと付けていたよ」
「ほんと?遠くてよく見えなかったな〜」
「じゃあ今見れば」
僕が徐に左手をテーブルの上に置くと、ガクは僕の手の上に自分の指を乗せてきた。
二本の左手、二つの指輪。
眺めているだけでなんだか幸せな気持ちになる。
ガクは僕の左手薬指を撫でながら言った。
「……ウイーンで公演するときも、これをつけて演奏する姿を見せてくれるよね」
「……来て、くれるの……?」
僕はちょっと驚いて、目を見開いてしまった。
「もちろん」
「でも……ヨーロッパだよ?
お金かかるし……。チケットは招待者枠をもらえると思うけど、ガクの旅費までは出してもらえないんじゃないかな……」
「はは、イオリ〜。
俺もう社会人!学生時代より稼いでるから!
イオリの活躍する姿を拝めるなら、貯金をはたいたって駆け付けるよ」
そっか。そうだよね。
一緒に暮らし始めて時間が経つのに、まだ学生時代の節約感覚が抜け切らないのは、ガクが今も節制した暮らしを続けているからだろう。
そんな節約思考のガクに、お金と時間をかけて海外にまで来てもらうのはなんだか気が引けてしまうけれど——
「……ガクが観に来ててくれるなら、僕、頑張る」
僕が決意を固めると、ガクはにっこり微笑んで、またシャンパンを流し込んでいた。
ともだちにシェアしよう!

