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-イオリ-再出発⑨
——仕事を終えて寝室に戻ってきたガクは、僕の上に馬乗りになった。
「お待たせ。しよっか」
「……ぅん」
僕は目を逸らしながら頷いた。
わざわざ宣言されると、僕がずっと期待しながら待っていたのを見透かされているみたいで恥ずかしい。
誘った時点でとっくにバレているだろうけど。
ガクの唇が降りてきて、僕の唇を塞いだ。
ガクとキスすると、いつも『あの日』を思い出す。
ガクと初めてキスをした、狭い防音室の中。
ガクは、『イオリにとって初めてのキスが、結局あんなロマンチックさのかけらもない場所になっちゃってごめんな』って謝ってきたけれど、僕にとっては最高の思い出になった。
辛い記憶しかなかったその空間に、初めてそれ以外の意味を作ってくれた。
ガクと出会って、僕の人生は変わった。
変わっていないのは、バイオリンと共に歩み続けていること。
そのバイオリンも、ずっと『嫌い』だと思い続けていたけれど、今は違う。
たった一人と出会えただけで、こんなにも世界は違って見えるようになるんだね。
『前世の僕』が『今の僕』に憧れて、辛い運命を受け入れてくれたことに心から感謝するし、報いたい。
ガクの唇は、やがて僕のお腹に降りていく。
古い傷が未だに沢山残っているけれど、ガクはその痕すべてに優しく触れてくれる。
くすぐったくて、でも気持ち良くて、嬉しい気持ちになって——
だからもう、沢山の傷たちは傷まない。
そして、前世で律人がつけてくれた痕。
記憶を思い出したからか、その痕の辺りを舐められると、今まで以上に身体が強く反応してしまう。
「ッ——」
「イオリのお腹、可愛い。おへそがヒクヒクしてるよ」
「……そこ……気持ち良い……」
「——不思議だよね」
「……え……?」
「イオリには前世の記憶がないのに、ちゃんと身体はここに反応するんだね」
僕はまだ、言ってない。
結婚式の日に前世の記憶を思い出したこと。
伝えるタイミングを考えていたら、時間が経っていたこともあるけれど。
僕のガクを愛する気持ちに『弓弦』という前世の自分の感情が重なっていると思われるのがイヤだった。
僕は僕として、まっさらな気持ちでガクを好きになったから。
——そう思っていた。でも……
『弓弦』だって、命懸けで恋をしてた。
僕より頑張ってくれたのは弓弦だから。
弓弦のおかげで僕はガクと出会えたのだから。
『弓弦』の気持ちも、ちゃんと『彼』に届けてあげられたら、弓弦も嬉しいだろうなって思う。
僕のお腹がこんな風に感じてしまうのも、弓弦が『彼』に気付いてもらえるよう、僕の身体に残したサインなのだと思うから。
「……ここが気持ち良いのは、『僕』が『律人』からもらった愛情の痕だからだよ」
「……ん?」
僕は起き上がって、ガクの顔をしっかりと見た。
「黙っていてごめん。
僕——とっくに思い出してた」
「……思い出した、って——」
「秋庭弓弦の記憶」
僕はお腹の痕を撫でると、意を決して話し始めた。
結婚式の日、指輪を嵌めてもらった直後に気絶したように倒れ込んだあの時、前世の記憶が流れ込んできたこと。
秋庭弓弦として生き、春木律人と出会って、最期に律人の腕の中で意識を手放したこと。
敵兵に左手薬指を斬り落とされた絶望と、来世ではこの指に愛する人からリングを通してもらうことを夢見たことが強く残り、
ペアリングを嵌めてもらったことがトリガーとなって、その記憶を取り戻せたらしいということ。
僕は人生でこんなに一度に喋ったことがあるかというくらい、ガクに話して聞かせた。
弓弦として、どれだけ律人を思っていたか。
出会った時点で未来の記憶——『イオリ』として再びガクと出会うことを知ったこと。
たった五日間の交流だったけれど、弓弦にとっては、律人とはもっと昔から恋人同士であったかのような懐かしさと愛しさを感じていたこと。
律人から思いを告げられて、どれだけ嬉しかったか。
自分が明日死ぬとわかっていたから、自分から律人を誘ってでも抱いてもらいたかったこと。
そして——
「……ガク。ひとつ、お願いをしてもいい?」
「なに?」
「今夜は——『律人』として、『弓弦』のことを抱いて欲しい」
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