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-加納早苗-エピローグ①
世の中、不思議なことがあるものね。
私はハーブティーを飲みながら、目の前に座る二人の男性を見て思った。
一人は40代、もう一人は20代。
そして私は60代。隣に座る夫も60代。
周りの人から見れば、初老夫婦と息子、その孫が三世代で仲睦まじくカフェを楽しんでいる光景に映っているのでしょうね。
けれどこの四人は、元々はみんな同世代。
どうしてこんなことが起きたのか?
それは奇跡としか言えない出来事だった。
私——早苗は、そーちゃん——如月奏のマネージャーをしていた。
学生時代から天才作曲家と呼ばれながらも、複雑な家庭に育ったそーちゃんは、消えない心の傷と闘いながら曲作りと向き合っていた。
転機が訪れたのは、そーちゃんが20歳、私が24歳の時。
皐月響くん。当時23歳だった彼がそーちゃんの前に現れたこと。
彼がどこから来て、どんな経緯があったのかをはじめ私は知らなかったけれど、
そーちゃんは彼と出会ってから変わった。
笑ったり、わがままを言ったり、怒ったり——
自然な感情表現を沢山するようになった。
そーちゃんの変化は、曲にも現れた。
『2月のセレナーデ』はそれこそ、人の心を打つ名曲として長く愛される音楽となったけれど、
あれはそーちゃんが皐月くんを想って書いた、そーちゃんの気持ちがダイレクトに音となった楽曲。
皐月くんとの出会いを経て、そーちゃんの音楽は普遍的に愛される音楽へ確実に変化を遂げていた。
だから、皐月くんがある日、目の前から姿を消したと聞かされた時は、私も心臓が止まるかと思った。
あんなに仲睦まじそうに見えたのに、一体どうして?
そーちゃんの話を聞くと、『目の前から姿を消した』という言葉は比喩表現ではなく、本当に物理的に消失したことを言っているのだと分かった。
皐月くんは、20年後の未来からタイムスリップしてきた人物だったのだ。
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