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-加納早苗-エピローグ②

皐月くんがなぜ、20年前の時代に現れて、そーちゃんと出会うことになったのか、そーちゃんは詳しくは話してくれなかった。 どうやら私に知られたくない何かがあったようだけれど、 皐月くんが消えて、彼がもし20年後の世界に戻ったのだとしたら、彼は『この時代』では子どもの姿で存在はしているはず—— 私はそーちゃんに、子どもの皐月くんを探し出して会いに行くことを勧めたけれど、そーちゃんは頑なに拒否した。 20歳と23歳の姿で出会い、沢山の衝突や理解を経て辿り着いた二人の関係を変えてしまうことが怖いのだとそーちゃんは言った。 それ以前に出会ってしまうことで、確かに存在していた二人の時間が無かったことになってしまうかもしれない、と。 それでも皐月くんが消えたことで、深い悲しみに沈むそーちゃんをどうにか救たくて、私は曲を作り続けることを提案した。 二人が会えなくても、皐月くんはそーちゃんの音楽を聴きながら大人になることができる。 そーちゃんの存在を近くに感じながら、皐月くんは皐月くんとして育っていくのだと。 ——その言葉が、そーちゃんにとって正解だったのか、未だに悩むことがある。 そーちゃんはそれから意欲を取り戻して、再び曲作りと向き合うようになった。 寝る間も惜しんで、ピアノの前に座り続けるような暮らしを何年、何十年も送って…… 皐月くんが去ってから20年後のある日、 そーちゃんは過労で亡くなってしまった。 海外に居た私と夫の右京さんは、訃報の知らせを聞いてすぐに日本に戻り、葬儀に立ち会った。 疲労の色は見えるものの、不思議と穏やかな表情で棺の中に眠るそーちゃんを見て、私は理解した。 そーちゃんは、20年後に自分が死ぬことを知っていた。 皐月くんが教えてくれたのかはわからないけれど、もしかしたら皐月くんはこうなる未来を知っていて、まだ生きていた頃のそーちゃんに会いに来たのかもしれない、と思った。 ずっとそーちゃんの側にいてあげることはできなかったのか。 それが叶わない何かが、皐月くんの身に起こったのか。 私には分からないことばかりで、そして私の言葉がそーちゃんを過労に追い込んだのではないかという後悔が募って、私は暫く落ち込んだ日々を過ごした。 マネージャーの仕事を再開したのは、その半年後。 家に引き篭もっていた私に、右京さんが、『奏さんのような音楽家を発掘して育てる』ことを新たな生き甲斐としてみてはどうかと提案してくれた。 私は元いた事務所の仕事を再開し、マネージメントと同時にスカウトの仕事もやるようになってから、気持ちを少しずつ整理できるようになってきた。 そんな中、私は気になる二人に出会った。 イオリくんとガクくん。 二人はそーちゃんのメモリアルコンサートで隣に座っていた。 開演前から、二人の仲睦まじそうな会話を聞いていて、なんとなくそーちゃん達のことを思い出し、懐かしい気持ちを感じていた。 コンサートが始まって、そーちゃんの作った音楽が奏でられるのを聴いているうちに、私はそーちゃんの居た日々を思い出して、涙が止まらなくなった。 小学生の頃から、43歳で亡くなるまで、そーちゃんの近くに居て、そーちゃんの音楽を沢山聴いてきた。 四つ下のそーちゃんを弟のように、そして圧倒的な才能を持つそーちゃんをアーティストとしても尊敬してきた私にとって、 そーちゃんの音楽を今もこうして沢山の人が演奏し、聴いてくれているのだという事実が嬉しくて、涙が次から次へと溢れてきた。 そんな私に気遣いの声をかけてくれたのがガクくん。 そしてハンカチを差し出してくれたのがイオリくんだった。 二人の会話から、イオリくんが東京藝術大学でコンサートマスターを務めた実力のあるバイオリニストだということは把握していたけれど、 ガクくんがイオリくんを『日本一のバイオリニスト』と自信満々に表現したから、きっと彼は素晴らしいバイオリンの腕を持っているのだと確信した。 私はハンカチを洗って返すことを口実に、イオリくんの連絡先を聞き、ついでに自分の名刺も渡して別れた。 イオリくんが、なんとなく、20歳の頃のそーちゃんに似ている気がしたから。 もしかしたらこの子も、大切な人の存在があってこそ光るタイプなんじゃないかと、そんな気がしていた。 それから私はがむしゃらに仕事をして、気づいたら部長にまで昇進していた。 自分の裁量で企画なども考えられるようになった時、事務所に何人かバイオリニストが所属していることを思い出し、閃いた。 うちのバイオリニストや、若手の精鋭バイオリニストたちとの共演コンサートを企画して、そこにイオリくんも誘ってみてはどうか、と。 私は早速、約一年ぶりにイオリくんに連絡を取った——

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