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第3話

 彬を連れに来た死神たち(などと勝手に呼んでいたが、もしかしたら彼らも役人か何かだったのかもしれない)の会話からもなんとなくそんな雰囲気を感じてはいたが、どうやらこの儀式は、決められたルールを守らずに行われたものだったようだ。なんと言って誤魔化そうか考えてでもいるかのように、ダウンズ公爵が目を泳がせる。  カーディフ公爵がたしなめるような口調で言う。 「ダウンズ公。あなたはこの間も……」 「きょ、許可は取っているぞ! 私にはなんら恥じるところはない!」  言葉をさえぎって、ダウンズ公爵が強気に言う。 「この時間になったのも暦の都合だ。だが、このような夜更けに立ち会いとして誰か呼びつけるのも、礼を欠くことであろうが!」 「なるほど。であれば、この私が立ち会いの任を引き受けましょう」 「なんだとっ?」  ダウンズ公爵の頓狂な驚きの声を無視して、カーディフ公爵がつかつかと役人のところへ行き、そのうちの一人が持っていた書類のようなものをよこすよう手振りで伝える。  おずおずと手渡された書類を見ながら、カーディフ公爵がこちらにやってきて、彬の傍に膝をついて屈む。 「……きみは『たかみやあきら』で間違いないか?」 「えっ……、は、はい、そうですが」 「そうか。ようこそこの世界へ。俺はカーディフ公アレクサンダー。アレックスと呼んでもらってかまわない」 「アレックス、様?」 「ブリントン王国軍元帥の名において、きみがベータ男性としてこの世界に転移したことを祝福する。不当な人身売買などに巻き込まれぬよう、身の安全はこの俺が保証する」 「……くっ……」  カーディフ公爵――アレックスの言葉に、ダウンズ公爵が苦々しげな顔をする。  先ほど奴隷市に売るなどと言っていたが、もしやそれもルールに違反した行為だったのだろうか。そしてアレックスは、そのことに気づいている……? 「さて、ダウンズ公。この男性の今後について、どのような腹づもりでいらしたのだ?」 「む、むろん、我がダウンズ家で引き取るつもりでいた。だが……、そう、せっかくだ。ここは貴公に譲ろう!」 「私に?」 「使用人が足りず困っておいでだと聞き及んでいる。若く優秀なベータを手放すのは惜しいが、王国軍元帥ともあろう者が、従者の一人も持たぬというのも難儀であろう?」  ダウンズ公が言って、ふんと鼻を鳴らすように笑う。 「なに、礼などはいらん! 長期遠征任務より舞い戻られた貴公への、ささやかな労いだと思ってくれればよいのだ。ではな、カーディフ公!」  何やら恩着せがましくまくし立てて、ダウンズ公爵が逃げるように部屋を出ていく。  若く優秀だなんて、手のひら返しにもほどがある物言いに、役人たちはもちろん彬も、呆気に取られて見送るばかりだ。  でもひとまず、奴隷市に売り飛ばされるのは回避できたのだろうか。  ふっと小さく息を吐いて、アレックスが言う。 「では、我がカーディフ家が責任を持って引き取ろう。きみ、体を起こせるか?」 「あ……、は、はい。あの、彬って、呼んでください」 「あきらだな。了解した」  アレックスが言って、起き上がった彬の背を手で支え、体にどこか具合が悪そうなところがないか確かめるように見てから、申し訳なさそうな顔をして続ける。 「すまなかったな、あきら。ダウンズ公はいつもああなのだ。これは推測だが、おそらくきみに、ひどく無礼なことを言ったのではないか? もしもそうなら、どうか公に代わって謝罪させてほしい」 「そ、そんな! あなたは、俺を助けてくださったんでしょう?」 「そうできてよかったと、安堵しているところだ」  そう言ってアレックスが、小さくうなずく。 「きみを俺の家に連れていく。これから住まうことになる場所だ。不安だろうが、どうか安心してついてきてほしい」  黒い瞳に金色の光を宿しながら、アレックスが言う。  差し出された大きな手に、彬はそっと自分の手を重ねていた。  彬が人間の世界で死に、元の世界とは異なるこの世界にあるブリントン王国の、バース管理省と呼ばれる役所の役人たちによって召喚され、元の姿や人格のまま転移したこと。  転移にあたり、男女とは別のもう一つの性である、バース性を与えられたこと。  バース性にはアルファ、ベータ、オメガの三つの性があり、召喚されてきた者にはそのいずれかのバース性が付与されること。  だがアルファであることはほぼなく、オメガもまれで、多くの場合人口の八割を占めるがこれといった特徴のない、ベータという性が付与されること――――。  王宮を出て、カーディフ家のタウンハウスへと向かう馬車の中で、アレックスに様々なことを一度に説明されたのだが、すぐにその意味を理解することはできなかった。  与えられたベータという性にはこれといった特徴がないというのは、なんとなく自分らしい気もするけれど。 「召喚というのは、元々はこの世界で暮らす人類がなんらかの理由で存続の危機に陥り、それを回避するために行われるようになった儀式だといわれている。だから召喚によって異世界からやってきた人間はこの世界の宝だと、俺は思っている」  アレックスが言って、憂うように続ける。 「だが実際は、ベータを不当に扱う者たちもいる。ダウンズ公爵は、自身のアルファの息子と番わせてアルファ性の子を産ませることができるオメガを欲しがっているんだ。あわよくば、ハイアルファと呼ばれる特別なアルファを産ませるためにな」 「……そういえば、なんだかそんな話をしていました。オメガを召喚してハイアルファを産ませなければ、我が家はおしまいだとかなんとか」 「浅ましい願望だ。子供も宝。かけがえのない授かりものだというのに」  そう言ってアレックスが、首を小さく横に振る。  番わせるとか産ませるとか、なんだか動物の繁殖のようだ。  アルファは人口は少ないが知能や身体能力が高く、なんらかの能力に秀でていることも多いらしい。オメガの人口はさらに少ないものの、生殖能力がとても高く、アルファの子を産むことができるのもオメガだけだが、今この世界にはオメガが極端に不足しているという話だ。だから子を産むことに特化した婚姻関係が優先されてしまうというのも、理屈としてわからなくはない。  でも人間は動物ではないし、そんな結婚はしたくない。もしも彬がオメガ性になっていたら、ストレートの男であるにもかかわらずダウンズ公爵の息子と無理やり結婚させられ、子供を産まされていたかもしれないということだ。  いらないベータだからと奴隷市に売られていたとして、オメガとどっちがマシだったかはわからないが、どちらにしてもなんと恐ろしい世界に来てしまったのか。 (……この人のこと、信じても大丈夫なのかな?)  助けてもらったのは感謝しているし、話しぶりからは今のところ、善良でまっとうな人物のように思える。  でもいきなり知らない世界に来て、初めて出会った人の家に引き取られるのだ。どんな生活が待っているのか想像もつかないだけに、やはり不安になってしまう。

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