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第4話
「着いたぞ。俺についてきてくれ」
「は、はい」
あれこれと考えていたら馬車が止まり、アレックスが先に降りたので、彬もあとに続く。
馬車は大きな屋敷の玄関前に停まっていて、中からやや武骨な雰囲気の男性が出迎えた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ、ただいま、ジェイ。すっかり遅くなってしまった」
「クリス様もトーマス様も、今夜は早くにお休みになりました」
「そうか」
アレックスがジェイという男性に応えながら、エントランスホールに入っていく。彬も彼についていくと。
(……わ、すごい……!)
巨大なシャンデリアと、ふかふかのじゅうたんが敷かれた床。
左右に長く続く廊下の壁には美しい装飾が施された燭台がいくつも並び、少なめに灯されたろうそくの明かりがちらちらとまたたいている。
磨き上げられた真鍮の手すりがついた階段は、大理石でできているようだ。階段の踊り場にある窓はステンドグラスになっていて、美しい花の模様が見えた。
住人は皆寝静まっているのかシンとしているが、オペラでも聞こえてきそうな豪奢な内装の屋敷だ。歴史を感じさせる建築物は好きなので、知らず心が躍る。
物珍しくてついきょろきょろしていたら、アレックスがすまなそうに言った。
「すまない。あまりにも暗いな」
「え?」
「領地から使用人を最小限しか連れてきていなくて、あまり手が回っていないんだ。それにとても手狭だから、ことによったら不便をかけるかもしれない」
彬を案内して階段を上りながら、アレックスがそんなふうに言うので、驚いてしまう。
庶民の彬の感覚からすると、ここはかなりの豪邸だし、使用人を使役できる立場になどなったこともないので、不便と言われてもどんなことか想像もつかない。
でもアレックスは公爵らしいし、本物の貴族の基準ではこれでも手狭なのだということだろう。きっと先ほどのダウンズ公爵のところはもっと広くて、使用人の数も桁違いなのではないか。
(……もしかして、この国の「貴族」っていうのは……)
明らかに身分格差がありそうなこの国で、振る舞いや言動がいかにも支配階級然としていたダウンズ公爵。
至って謙虚で親切だが、軍を率いる元帥の立場であるらしいアレックス。
ともに爵位がある二人の共通点と言えば……。
「あの、アレックス様。少々お訊ねしても?」
「質問するのに許可を得る必要はない。なんでも気兼ねなく訊いてくれ。なんだ?」
「ええと、その……、ダウンズ公爵様やアレックス様の、目の色のことなのですが」
「ああ、これか。気になっているだろうとは思っていた」
「すみません、不躾に見たりして。もしかしてその金のお色は、アルファであることの証しだったりします?」
「そのとおりだ。アルファの目には金色の光が宿っている。オメガは虹のような色合いで、ベータには光はない」
「……なんか、そんな気がしてました。アルファは皆貴族階級で、この社会における支配階級だということなのですか?」
彬の問いに、アレックスがしばし黙る。
そのまま建物の二階の廊下を静かに歩きながら、ぼそりと言う。
「現状、そういうことになってしまっているな」
「そういう、こと……?」
「少しも自明なことではない、という意味だ」
どこか不本意そうな声をにじませて、アレックスが続ける。
「貴族と呼ばれる家柄の者には、ベータも多くいる。だがアルファは、絶対にオメガからしか生まれない。そしてオメガには婚姻の自由がなく、ベータや平民との結婚も許されていない以上、アルファはアルファのいる家系からしか生まれない」
アレックスが言葉を切り、小さくため息をついて言う。
「アルファがオメガと結婚して、アルファが生まれる。そのアルファが家督を継いで、またオメガと結婚して、アルファが生まれる。そういう家系が貴族と呼ばれて、何百年も続いてきた。ただそれだけのことにすぎない」
「……なるほど」
彬がいた世界にバース性は存在しないが、貴族階級というのはだいたいそういうものなので、アレックスの言っていることはよくわかる。
特定の属性の人間に婚姻の自由がないというのも歴史的にはよくあることで、これ以上ないほど前時代的な慣習だ。もちろん、元の世界にもそういう国はあったけれど……。
「バース性については複雑な仕組みや慣習がある。すぐには理解が難しいかもしれないが、いずれわかるようになる。ともあれ、今夜はもう遅い。きみはもう休んだほうがいい」
廊下の奥にある部屋の前まで行き、ドアを開けて、アレックスが言う。
「今夜からこの部屋を使ってくれ。ひとまず着替えられそうな服が、そこの物入れの中に入っているはずだ」
「あ……」
うながされて中を覗くと、そこにはベッドとテーブルと椅子が一組、衣装など様々なものを収納するのに使うと思しき、横長の物入れがあった。
両親が残してくれた家で使っていた部屋は和室で、ずっとベッドに憧れがあった。ここが自分の部屋になるのだと思うと、なんだか映画の登場人物にでもなったみたいな気分だ。
「これからのことは明日話そう。今夜はよく休んでほしい」
「……はい。よくしていただいてありがとうございます、アレックス様」
「礼には及ばない。ではまた明日。お休み、あきら」
「お休みなさい、アレックス様」
そう言って頭を下げると、アレックスがこちらに背を向けて廊下を歩き出した。
大きな背中を見送り、部屋に入ってベッドに腰かけたら、思った以上に疲れていたのか、途端に眠気がやってきた。
(何か考えるのは、起きてからにしよう)
着替えくらいはしたかったのだが、それもけだるく感じるくらい眠い。
靴を脱いでベッドにもぐり込むと、彬はじきに眠ってしまっていた。
『彬、おそとにいこー!』
『あそぼー!』
『いいよぉ。お外で何して遊ぶ?』
彬を呼ぶ甥と姪の声を、ぼんやりと思い出す。
首都圏近郊の4LDKの一戸建てで生まれ育ち、中学生のときに両親を失った彬は、しばらくの間は姉の麻衣と二人暮らしだった。
でも当時麻衣と付き合っていた昭が、就職と同時にきみも彬も幸せにするからと麻衣にプロポーズして、二人は結婚。三人で暮らし始めると、じきに甥と姪が生まれた。
それから六年。大学生になって交友が広くなってはいたが、五歳と三歳になった子供たちにねだられると、彬はいつでも、まるで自分も小さな子供に戻ったみたいな気分になりながら、たっぷりと遊んでやっていた。
多忙な姉夫婦に代わって保育園にお迎えに行ったり、食事を用意して食べさせたり、ときには寝かしつけまでやっていたけれど、別に押しつけられていたとかではなく、子供たちがただただ可愛くて、純粋に楽しんでやっていたことだ。
姉夫婦が仕事のない日は家族みんなで近所の公園やプールに行ったり、キャンプやバーベキューをすることもあった。
大学を卒業したら独り立ちするつもりだったが、なるべく近くに住んで、いつでも会えるようにと、彬は考えていたのだった。
(……でも俺、死んじゃったんだよな……?)
不思議な格好の二人組と出会い、昭の代わりに車にはねられ、なんだかよくわからない別の世界に来て、親切な軍人、アレックスの家に――――。
「あきら、まだねてるのー?」
「あそぼうよあきら! ぼくたちといっしょに!」
「……っ?」
ガラスのベルが鳴っているみたいな、とても明るくて心地いい子供の声に、驚いて目を開ける。二人の男の子がベッドに乗って、彬の顔を左右から覗き込むように顔を突き出していたから、思わず息をのんだ。
年の頃は甥と同じくらいか。とてもよく似た顔立ちをしているところをみると、双子なのかもしれない。ふわふわと柔らかそうな赤茶の髪に、緑がかった瞳は、わずかに金色の光を放っているように見える。
昨日アレックスが話してくれた、バース性が「アルファ」の子供たちなのだろう。アレックスの家族、もしかしたら、彼の子供なのだろうか。
「おきた!」
「おきたね!」
「あそぼう!」
「あそぼう、あきら!」
「……えっ、と……?」
のそのそと起き上がり、ほかに使用人か誰かいないのかと部屋を見回したが、子供たちだけしかいない。窓の外は明るく、日が昇ってだいぶ経っているみたいだ。
この世界で暮らす貴族の子供たちの生活がどんなものかわからないが、退屈しているのなら、遊んであげようか……?
「俺の名前、知ってるんだね。きみたちの名前は?」
「クリス!」
「トーマス!」
「はじめまして、クリス、トーマス。何して遊ぼうか? どんな遊びが好き?」
問いかけると、二人の顔にぱぁっと笑顔が広がった。
金色に光る目をさらに輝かせて、二人が言う。
「たまあそび!」
「おえかき!」
「きのぼりもすき!」
「おへやでかくれんぼしたい!」
「……うーん、見事にアウトドア派とインドア派にわかれてるね」
子供が複数いるとそういうことはままある。どうしたら二人を満足させられるか考えていたら、どこからか声が聞こえてきた。
『坊ちゃまたち! どちらにいらっしゃるのです!』
『じきに昼食の時間ですぞ!』
『クリス様、トーマス様!』
クリスとトーマスにも聞こえたのか、口をつぐんで顔を見合わせる。
数人の、おそらく使用人たちが、二人を探している様子だ。こういうときは……。
「ねえ二人とも。まずはかくれんぼをしない? この部屋のどこかに隠れて、見つからないようにするの。俺、誰か来ても、いないよ! って言うよ?」
「する!」
「かくれんぼする!」
子供たちがうきうきとベッドから下り、どこに隠れようかと部屋を見回す。
先に目星をつけたのはクリスで、物入れとベッドの隙間に入り、壁のほうを向いて屈んで丸くなる。トーマスは少し考える様子を見せたあと、ベッド脇の足元のほうに屈み、ベッドカバーをめくって頭からかぶった。
(……くっ、可愛いっ!)
二人とも、絵に描いたような「頭隠して尻隠さず」状態だ。
小さな子供のこういう無防備で一所懸命なところが、彬はとても好きなのだ。
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