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第7話

「へえ、綺麗じゃないですか」 「お世辞はいい。いま飲み物出すから待ってろ」  背の高い男を1DKに迎え入れると、とたんに部屋が狭くなる。  だけど、いやな気分ではない。逆に、大きな獣に守ってもらえそうな安心感があった。  コンパクトなソファに腰かけて興味深そうに室内を見回す男に麦茶を注いで渡すと、美味しそうに喉を鳴らして飲み干す。 「ふは、やっぱ夏は麦茶。これ、もしかしてちゃんと煮出してあるんですか?」 「まさか。水出しパックだよ」 「うそ、すっごい美味しいです。先輩が作ったからかな」 「褒めてもなにも出ないぞ」  天城は根本的に褒め上手なのだろう。照れくさいからまともに目を合わせられないが、冷蔵庫を開けて豆腐とたまごを取り出す。  料理上手ではないけれど、フライパンや包丁、まな板といった調理器具はひととおりそろっている。 「じゃ、さっそくパパッと作ろう。先輩、ゴーヤが好きでよかった。この苦みが得意じゃないひと、けっこういるし」  Tシャツからのぞく太い腕にひそむ筋肉の動きに、惚れ惚れしてしまう。狭いキッチンで包丁を器用に扱う天城に、「おまえを山に放り込んだら狩猟も得意そうだな」と言うと、可笑しそうな笑い声が上がる。  神保町から戻ってくる途中でスーパーに寄り、新鮮なゴーヤや豚肉、ビールにジャンクなスナックを買ってきた。 「狙った獲物は逃がさないタイプなんで。――先輩のことも美味しくいただいちゃったらどうします?」 「…………」  急に熱っぽいことを言われると困るが、天城はちいさく笑いながらワタを抜いたゴーヤを輪切りにして塩水に漬け、豆腐を水抜きし、さらに買ってきた豚バラを食べやすいサイズに切る。 「……私もなにか手伝う」 「たまご、溶いてもらっていいです?」  見ているあいだにも鮮やかな手つきでフライパンに肉やゴーヤを放り込む男の横で、たまごをかき回す。  隣からじわりと伝わる熱はやっぱり獣みたいで、ただ黙っているだけでは頭からバリバリと喰われてしまいそうだ。  あっという間にできあがったゴーヤチャンプルーは鮮やかな黄色と緑で、ふんわりとまぶしたおかかの香りがなんとも食欲をそそる。  パックのごはんをレンチンし、買い置きしているインスタント味噌汁をカップに注げば、立派なランチのできあがりだ。 「さ、食べましょ」  嬉しそうな男とラグを敷いた床にじかに座り、「いただきます」と手を合わせる。 「ん、……うまい。これ、うまいな」  ひとくち頬張ったとたんに声が上擦ってしまった。仕上げにぱらりと振りかけたおかかがなんとも香ばしい。ゴーヤは爽やかな苦みで少し固めなのもいいし、たまごは滋味に富んでいて、豚肉は俄然元気が出る。  あまり気づいていなかったが、連日の暑さでいささか疲れていたようだ。夏バテも吹っ飛ぶ美味しさに箸が止まらず、気づけばパックごはん一膳分をあっという間に平らげていた。 「足りないな……おまえもお代わりするか?」 「しますします」 「今度は炊飯器でたくさん炊く」  今日はすぐ食べるからとパックごはんを買ったのだ。  今度、という台詞に天城はわかりやすいぐらい目尻を下げ、綺麗な歯を見せながら気持ちよく食べ進めていく。  もうひとつパックごはんを温め、天城と半分こにした。 「たまごも固すぎず柔らかすぎず、最高だな。店で食べるよりずっとうまい」 「よかった、気に入ってもらえて。ゴーヤーチャンプルーっていろいろアレンジができるんですよ。今日は豚バラ使いましたけど、スパムもいいし、ペラペラのハムでもイケる。玉ねぎやちくわを入れると、食感が変わっておもしろいんです」 「へえ……夏の間はたくさん食べたいかも。簡単に作れるみたいだし」 「ぜひぜひ。初心者でもちゃんとできますよ。厚揚げを入れたやつもボリュームが出て満足できますよ。俺、ずっとラグビーやっててとにかくいっぱい食えるのはマジ大事だったんです。うまくて安くて、満腹できるメニューなら任せてくださいよ」 「いまでも学生みたいだな」  快活な男につい笑ってしまった。 「次は、帰りが遅くなった夜に簡単に作れるメニューを教えてくれ」 「お、いいですねえ。大根やカブを買ったときについてくる葉っぱを刻んで炒めておくと、お茶漬けのいい素になりますよ。挽肉を冷凍しておいてスープにするのもいいし」  気分が解れたところで、冷えた缶ビールを冷蔵庫から取り出した。そのうちの一本を渡してやると、天城はさらに相好を崩す。 「呑みたいなーって思ってたとこでした。でもほら、お邪魔している身で、そこまで言うのはさすがにずうずうしいかなと黙ってたんですけど」 「口にしたら結局ずうずうしいが」 「ですよね。ありがたくいただきます」  軽い皮肉も明るく飛ばす天城に苦笑し、御影もプルタブを引き抜く。  キンキンに冷えた苦みが美味しいと感じるなんて、いつの間にか、自分もいい年になったみたいだ。  今日はからりと晴れていて、湿度も低い。クーラーを効かせて窓を少し開けてやれば、いい風が吹き抜けて白いカーテンの裾を揺らす。  光をまとったカーテンはふわりとふくらみ、フローリングの床に濃い影を刻む。  ――ふたりきりだ。  無言が続くうちにだんだんと息苦しさを覚え、スマートフォンのラジオアプリで適当な音楽番組を流してみた。  そわそわしてしまうほどの存在感と骨っぽい色気があるのだ、天城という男は。  せっかく腹が満たされたのにこころが乱れて、「もう帰れ」と言い放ちそうになったが、ぐっと堪えた。逆ギレなんて、年上のやることではない。しかし、このままふたりで肩が触れ合うほどの距離で座っていたら、変な気分になりそうだ。 「……あの」 「な、なんだ」  低い声が聞こえてきただけで飛び上がりそうだ。跳ねる息をなだめながら、そろそろと隣を見る。 「すごく先輩らしい部屋ですね。俺、好きです、こういうの」 「……そうか、ありがとう。でもべつに凝ったことはしてない。インテリアには疎いから、色を抑えているだけだ」 「ブルーグレーの壁紙に白いカーテンって、北欧っぽくておしゃれ。床が濃いブラウンっていうのも落ち着きますね。こういうの、どうやってチェックするんですか? インテリア本を読むんですか? 俺もまねしたい」  熱心に言われてとまどうが、嬉しい。誰かを部屋に招いたのはこれがはじめてだということをいまさらながらに思い出し、緊張で頬が強ばりそうだけれど、「動画をいろいろ観たり、たまに雑誌も買う」と答えた。 「凝ってるとか、趣味とかってレベルじゃなくて、ただ自分しかいない部屋でも居心地よくできたらいいなと思ってる」 「先輩って、研究室も自宅もきちんとしていて格好いい。俺、すぐ雑然としちゃうんですよね。綺麗な部屋に憧れるんですけど、なんか秘訣あります?」 「モノの場所を決める……ことかな。どんな書類も、バッグも、皿もカップも、場所を決めて使うたびにそこに戻す癖をつけると、片づく。本は本棚に、服はクローゼットに。帰宅したら、その日の持ち物をすぐに整理するようにしているんだ」 「偉い……ほんとうにすごい。その癖って、どこで身についたんですか。ご両親の影響?」  なにげない問いかけにちいさく笑い、「私は施設育ちなんだ。そこのスタッフが全員、綺麗好きだったんだ」と言うと、天城は目を瞠った。

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