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第四話 一緒の夕飯
「おかえり、ユウちゃん」
「……お、邪魔します」
「ちがーう。ただいま、でしょ」
「た、ただいま」
次の日、ユウは専門学校に行っていいと言われ、父が逃げる前と同じ、当たり前の日常を過ごした。てっきり逃げられないように凛の家に閉じ込められると思った。そう思っていると、凛は『逃げても地獄の果てまで追いかけるから大丈夫だよ。その時は多分海の中に案内することになるけど』と脅してきたので、悠は素直に凛の家に戻った。今さら悠に帰るところなどないのだから。
「ねえ、今日のメシなあにー?」
「……鶏肉のトマト煮。トマト好きか?」
「どーかな。おれ今までメシって必要だから食ってただけで、味気にしてなかったんだよねー」
悠は思わず言葉を失った。世の中にはいろんな人間がいるとは思っていたが、食に重きを置かないのは悠と正反対すぎた。
「ほら、残飯とか食ってたから、味の良し悪しとかわからないほうがむしろよかったっていうか」
「…………」
昨日寝かしつけられたことがないと言っていたことや、今の発言から凛がまともな環境で育っていないことは察せられた。
「でもユウちゃんのメシ、なーんかうまそうに見えてさあ。これなら毎日食ってもいっかなーって」
「…………っ」
嬉しい。この上なく、嬉しい。悠は自分の料理で誰かが幸せになってくれるのがなによりの喜びだった。凛がヤクザで、自分の命を握っているのだとわかっていても、求められたことがどうしようもなく胸を満たす。
「あれ? ユウちゃん嬉しい?」
「う、嬉しい……だろ、褒められたら」
「じゃあいーっぱい褒めてあげるから、おいしーの作って」
ほら早く、と凛が催促する。悠は急いで手を洗って調理を始めた。
米を洗って吸水させて、鶏肉の下処理をして、玉ねぎを切って。まだ慣れないキッチンながらも手際よく料理をする悠を凛は面白そうに見ていた。
鶏肉から出た水分を拭き取って、油を敷いた鍋に放りこむ。今日は昨日と違って本格的に料理がしたくて調味料やら何やら買ってきたので腕がちぎれるかと思った。
鶏肉に皮目がつくまで待ってから、次いで鍋に玉ねぎを入れる。本当はセロリを入れてもうまいのだが、凛の好みがわからなかったので今回は除外した。
じゅわわわ、と肉の焼ける音がキッチンに響く。
「ねー、まだ?」
「まだ煮てもないだろ……」
「だって早く食いたいー」
鶏肉の表面に火が通ったのを確認して、赤ワインとトマト缶、水を入れる。これで中まで火が通れば完成だ。
悠は冷蔵庫から人参とハムを取り出して、人参をなるべく細長く切り刻む。ハムは短冊切りだ。それを深めの皿に入れて、鶏ガラスープの素とレモン汁で和えた。
「できるまで、これ食って待っててくれ」
米が炊けるまでまだ時間がある。凛にはサラダを食べて待ってもらうことにした。
「ん、いただきまーす」
凛は箸も使わずに手でぱくりとサラダを食べる。
「んま! なにこれさっぱりしてるー」
彼はあぐあぐとサラダを口に放り込んでいく。悠はその間に吸水を終えた米に向き合う。
凛の家には炊飯器がない。なので追加で鍋を買ってきて、炊くことにした。
米と水を規定量入れて、火にかける。やがて沸騰してくるので火を弱め少し弱めて数分待ち、その後更に火を最小にまで弱めてまた数分炊けば完成だ。念のため蓋を取って水分が残っていないかを確認して、十分ほど蒸らす。この手順を自動でやってくれる炊飯器がとても恋しくなってしまった。
米ができたのを確認して、トマト煮の方も味を見る。しっかりと煮込まれて味が染み込んでいるのを確かめて、深皿に盛った。白米も少し多めによそって、テーブルに置く。
「よし、できたぞ」
「わーいやっとできたー!」
凛はうきうきとした様子でテーブルに座る。
「じゃ、いただきまーす!」
彼の口の中にトマト煮が放り込まれる。瞬間、彼は目を輝かせた。
「ん! うっま!」
「────」
こんなにも、悠の料理をおいしそうに食べてくれる人間はいない。父だってここまでのリアクションはしなかった。
「なにこれうんまいんだけど! トマトだから酸っぱいと思ってたのに!」
「火入れると甘くなるんだ。ほら、ケチャップとかも酸っぱくないだろ?」
「あー確かに! なんでこんな複雑な味すんの? これも火入れたから?」
「ワイン入れたからだと思う」
凛は味に深みが出ている理由を聞いてくれる。料理の話をするのがとても楽しい。
「あれ?ね、なんでユウちゃん食べないの?」
「え、だってこれお前のメシだから……」
「じゃユウちゃんは何食べんの?」
「あー……考えてなかった」
凛に食べさせることに夢中で、自分の夕飯のことを考えてなかった。
「ユウちゃんも一緒に食べよ?」
「え、でも」
「いーから、ほら。ユウちゃんが倒れたら誰がおれのメシ作るの?」
「……わ、かった」
自分の分の白米とトマト煮をよそって、ソファに座る。ぱくりとひと口食べると、しっかり味の染みた鶏肉を噛み締める。
「……うん、うまい」
凛にうまいと言ってもらえたから、余計に美味しい気がする。ヤクザの若頭と食事を共にするなんて奇妙な空間は、なぜか妙に心地がいいと感じてしまった。
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