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第六話 凜の悩みごと
凛との生活にも慣れてきた。彼はスキンシップが激しくて、なにかにつけて悠に飛び付いてくる。それは触れ合いを望んでいるというより、ぬいぐるみで遊ぶ子どものようだった。
要するに悠は凛の暇潰し相手なのだ。いつ彼の気まぐれで捨てられるかわかったものではない。けれど悠に現状を打開する方法はなかった。毎日、凛の機嫌に怯えながら、けれど夜にはそのぬくもりに温められて眠る奇妙な関係が続いていた。
「ただいまぁ……」
その日、凛は少し暗い顔で帰ってきた。いつも明るくてへらへらしている彼らしくない。
「おか、えり……? メシできてるぞ……」
「うん。今日なあに?」
「ポークケチャップと野菜スープ、だけど……」
「……おいしそ」
やはり、元気がない。事情を聞いた方がいいだろうか。けれど、余計なことを聞いて何かに巻き込まれたらどうしよう。
「……これ、誰かに言ったら殺さなくちゃいけないんたけど」
「っ!? そ、そんなこと言うなよ……!」
「親父の、元気がないんだ」
「へ……? 凛の、お父さん……?」
凛に肉親を心配する気持ちがあったことに驚く。なんというか、そういうことに無縁の人間だと思っていたから。
「違うよ。親父ってのは組長のこと」
「……あ、親父ってそっちか」
それなら、まだ納得がいく。それにしても組長の元気がないとはどういうことだろう。
「最近メシ食べてくれなくなってさ、酒の量だけ増えて……本人が言うには、いろんなもの食べ過ぎて飽きちゃったんだって。確かに親父、フグとかステーキとか散々食べてきたし」
「食欲不振ってことか……? 病院には?」
「言ったけど原因は特になくて心因性? ってやつだって。おいしいと思えるものから食べていきましょうとか言われたらしいんだけど」
「そう、なのか……」
正直医者がそう言うのならどうしようもないだろう。
「おれがユウちゃんのメシうまいって話したら、親父羨ましそうにしててさ……多分親父も本当はうまいもん食べたいんじゃないのかなあ」
「凛……」
ここまで落ち込んでいる凛は初めて見た。きっとその組長がとても大切な人なのだろう。
もし──もしも、悠の作ったものが凛に届いたように、組長が元気になるきっかけに、なれたなら。そんなことを思ってしまった。
「あ、あのさ……凛」
「んー?」
「も、もしよければなんだけど……俺、組長さんに弁当作ろうか」
「……弁当?」
「うん。いつも凛に作ってる、普通の家庭料理しか無理だけど……。あっ、でも誰かの手料理食べちゃ駄目とかなら、全然!」
そもそも悠の作るものが口に合うかどうかわからない。けれど、悠は食べ物で誰かが困っていたら、何かをせずにいられない。
「……ユウちゃんのメシなら、食ってくれるかな」
「っ、じゃあ明日作るから! 親父さん、食えないものとか、アレルギーとかあるか!? あと好きなものあったら入れる!」
「うーん……脂っこいのは嫌って言ってたなあ。食えないもんは多分ないと思う。和食よく食ってたかな」
「和食だな、わかった!」
悠は頭の中で献立を組み立てながら野菜スープをよそう。気合を入れた悠を見て、凜はようやく少しだけ笑った。それが、どうしてか嬉しかった。
次の日。悠は、佐神組の事務所の前に立っていた。
昨日は組長に何かを食べて欲しいという一心で提案をしたが、それはつまりヤクザの本拠地に足を踏み入れるということだ。
「っ……」
足ががたがたと震える。絶対に歓迎などされないことはわかりきっている。もしなにかで機嫌を損ねて殴られたら。いや殺されたら。
「ユウちゃん、大丈夫。ユウちゃんは今日おれが連れてきたお客さんなんだから、手は出させないよ」
隣の凛がぐいと肩を抱く。
「で、でも」
「若頭に逆らうやつなんていたら、それはそれでお仕置きだからだいじょーぶ。ほら行くよ」
凛は一切の躊躇なく扉を開ける。するとそこには、強面の男たちが二十人程いた。
「カシラ! お疲れ様ですっ!」
「お疲れ様ですっ!」
男たちが一斉に頭を下げて凜に挨拶する。
「ほらユウちゃん、おいで」
「あ、え、っと……お邪魔、します」
「カシラ、そいつは? 今から詰めるんすか?」
スキンヘッドの男が怖いことを言いだす。彼らの中ではそれが日常なのだろうか。
「違うよ。親父のメシ作ってくれたおれのお客さん。手出したら殺すから」
「オヤジに!? 誰かもわかんないやつのメシ食わせるんすか!?」
「他の組の息がかかってるかもしんないですよ! 毒でも盛ってたら……!」
「っ、毒なんて盛りません!」
思わず言い返すと、男たちがぎろりと悠を睨んだ。
「んだとテメェっ!」
「ひっ……!」
「おい館山」
凜が悠につかみかかろうとした男を長い脚で蹴り上げた。
「がっ……!」
「おれの客だって言ったよね? おれが親父に毒盛るようなやつ連れてくると思ってんの?」
「い、いえそんなこと……ぐぇっ!」
館山と呼ばれた男は凜に踏まれて悲鳴を上げる。悠はいきなり行われる暴力を見ていることしかできなかった。凛は笑っているのに目が冷ややかで、いつも以上に恐ろしかった。
「だったら黙っててよ。ちょっとは考えてからもの喋れ」
「す、すいませんっ……!」
「さ、ユウちゃん組長室こっちね。早く行こっ」
凜はくるりと振り向いていつもの笑顔に戻って悠の肩を抱く。館山という男は大丈夫なのかと思ったが、これ以上無駄なことを喋ると大変なことになりそうなので黙るしかなかった。
やはり凜はヤクザなのだ。その怖さが、今一度心に刻まれた。
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