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第七話 組長と炊き込みご飯

「親父ー、凛でーす。入っていい?」 「おお凛か。入れ」 「失礼しまーす」  重厚なドアを開けると、そこには皮張りのソファで煙草をふかす老人がいた。白にわずかに黒が混じっている髪を撫でつけて、着物に身を包んでいるその姿は想像する極道の組長そのものだった。 「おや、そちらさんは?」 「あ、あのっ……」  温厚そうに見えるが、ヤクザの組長だ。きっと怒らせたら怖いに違いない。そう思うと声が上擦ってしまう。 「前に話したユウちゃん。親父に会いたいっていうから連れてきた」 「おいおい凛……。会いてえって言ったからってほいほい会わすなよ。俺ァヤクザだぞ」 「ただ会いたいだけじゃないんだよ。ユウちゃん親父に渡したいものがあるんだ。ね? ユウちゃん」 「あ、はい、あの、えっと、これっ……!」  悠は震える手で組長の前に使い捨ての弁当容器を置いた。 「これは……?」 「お、俺が作った、弁当です。組長さんに、食べて欲しくて」 「……凛、おめえ……」 「ユウちゃんのメシ、本当にうまいんだよ。だから親父も食べられるかなって思ったんだ」 「余計な気使うな。俺ァあとはもう死ぬだけの老人だ」 「やだ。お願いだからひと口でいいから食って。毒見はおれがした。信じられないならここでも毒見するよ」  凜は笑みを消して真剣な表情で組長に希う。組長は大きくため息を吐いて、弁当容器を開けた。 「ったく、おめえのわがままにはいつも困らせられる……。これは……握り飯と、卵焼きか?」 「あっ、はい! 組長さん和食が好きだと聞いたので、炊き込みご飯で作ったおにぎりと卵焼きを」  鶏肉を小さく刻んだものとしめじを具にした、かつお出汁で炊いた炊き込みご飯だ。 「握り飯なんていつぶりか……。まあ、もらうとしようか」  組長はアルミホイルを取って、あぐりとひと口を食んだ。 「…………」 「……っ」 「…………」  組長室が無音で満たされる。組長の反応次第で悠の首は物理的に飛ぶ。 「……うめえ」  ぽつり、と組長の口から言葉が漏れた。それは無意識で呟いた、本音に聞こえた。 「え……」  彼はまたひと口おにぎりを頬張る。そしてふた口、み口と続いていく。ひとつ目のおにぎりを食べきった組長は、割りばしを割って卵焼きを食んだ。 「んん、甘いが出汁がしっかりきいてやがる……こいつは……」  卵焼きとおにぎりが、どんどんと口の中に消えていく。  ──よかった、食ってくれた……!  悠の心は安堵で満たされた。凛の話ではほとんどものを食べてくれないと言っていたのに。 「親父が、食ってる……」  凜が驚きの声を上げる。その顔には、心からの笑みが浮かんでいて。  組長は弁当をあっという間に食べきり、ふうと息を漏らした。 「いやうまかった。素人さんの作ったもの持ってくるなんてと思ったが、間違ってたな」 「親父……!」 「銀座の高級店やら京都の老舗やらいろいろ食ったが……そうか、俺ァこういうもんが食いたかったのかもなあ。なんの飾り気もねえ、滋養のあるもんが」  組長はひどく満たされた顔でふっと笑う。そして、悠を優しいまなざしで見据えた。 「悠さん。こんな爺のために弁当をありがとう。老体に沁み入ったよ」 「い、いえ、お口に合ったのなら、なによりです……!」  嬉しい。悠の料理が、誰かを救えた。それがなによりも嬉しかった。 「ユウちゃんっ!」  突如、凜が悠を強く強く抱き締める。 「っ、り、凛!?」 「ありがとうっ! このまま親父が死んじゃうんじゃないかって思ってた! ユウちゃんすごいよ!」  凜は親が病気から回復した子どものように喜ぶ。凛に、褒められた。自分の作ったものを、認めてもらえた。 「っ……」  思わず瞳にじわりと涙が浮かぶ。だって凜は今まで悠を玩具としてしか見ていなくて、優しさだっていつ気まぐれでなくなるかわからなくて。そんな彼が、純粋に悠を褒めてくれている。 「こら凛、悠さんを困らせるな」 「だって嬉しいんだもん! 親父、ユウちゃんのメシうまいでしょ!? おれが言ったこと間違ってなかったでしょ!?」 「わぁったわぁった。落ち着け。……悠さん、あんたのメシは本当にうまかった。もしよければ、また暇なときにこの老人に作ってくれねえか」 「っ、え!?」  それはつまり、組長に弁当を持っていくたびにあの怖いヤクザたちに会わなければいけないということで。 「その、組員のひとたちがなんて言うか……! い、一般人が事務所に出入りしたらいい顔しないんじゃ」 「俺の料理人ってことにすればいい。出前なんかはよく頼むんだ。それと変わりゃしねえさ」 「で、でもっ……」  正直怖い。今更だがヤクザと関わりなんてもたないほうが平和に生きていける。凛以外にヤクザの知り合いを増やすのは危ない。だが料理を必要とされるのは嬉しくて。 「お、おれの身柄を預かっているのは凜なので、凜がいいと言えば、やります……」 「だそうだが、凛?」 「もちろんおっけー! ユウちゃん、ついでにおれの分も弁当作ってねっ!」  凜は嬉しそうにすりすりと頬を擦り寄せてくる。綺麗な顔立ちに笑みを向けられて、どうしてかどくんと心臓が高鳴った。 「っ……!」 「わ、ユウちゃん顔真っ赤ー」 「その距離感で行ったら誰だって照れるだろうよ。悠さん、迷惑かけるな」  組長は席を立って悠に向かって手を差し出した。 「改めて佐神組の組長、佐神龍一だ。これからよろしく頼む、悠さん」 「は、はい……! あのっ、好きなものとか嫌いなもの、あとはアレルギーとか教えてもらえると助かります!」  悠は、しっかりとその手を握ってしまった。平穏な日常というものが離れていくことがわかっていても、悠はそれを止めることなどできなかった。

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