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第八話 箸と肉じゃが
凛は、悠の買い物によくついてくる。悠は食材から料理を考えるのが楽しいのでスーパーは好きだ。けれど料理をしない凛は何が面白くてついてくるのか。以前たずねたら、悠が買い物をしているのを見るのが面白いと言われた。
「ねえユウちゃん、今日のメシなあにー?」
「うーん……そうだな……じゃがいもが安いから、肉じゃがにするか?」
「いいね、うまそう!」
「凛は牛肉と豚肉、どっちがいい?」
「? 選べるの?」
「肉じゃがって地域によって肉が違うんだよ。どっちが好みかなって」
「んー、じゃあ豚! でも今度牛のやつも食いたい!」
「じゃ、それは今度な」
悠はじゃがいもを籠にいれていく。そこでふと、和食を食べるのにかかせないものが凛の家にはないことに気づいた。
「なあ凛、箸買っていいか?」
「箸?」
「そう、箸。凛の家、フォークとスプーンしかないだろ」
「うん。だっておれ、箸使えないもん」
「……え?」
凛はさらりとそんなことを言ってのける。
「……うまく、持てないってこと?」
「そー。使い方よくわかんない。教えてもらったことないし」
「で、でもほら、ヤクザって会食とかするんじゃないのか。その時は?」
「食べないよ? 若頭が箸使えないなんて相手に知られたら、笑われちゃうからね。適当に理由つけて手つけなかった」
「────」
おそらく凛は、まともな家庭環境で育っていない。それでも、箸の使い方さえ教えてもらえない家庭があるということに、悠は恐怖に近しいものを感じていた。
「……凛、こっち」
悠は凛を引っ張って、食器が置いてあるコーナーに向かう。そしてそこにあった、矯正箸を手に取った。前に買い物をした時にあるのを覚えていてよかった。
「これなら、凛にも使えると思う」
「なあにそれ、普通の箸じゃないの?」
「うん、矯正箸。ここのへこんでるところに指置くと、ちゃんと箸掴めるんだ」
「それおれに使えって? ユウちゃんおれが箸使えないからって同情した? そういうのいらないんだけど」
凛は笑顔のまま声を冷たくする。同情なのかもしれない。けれど、それ以上に。
「っ……俺が、凛に和食食べて欲しいんだ。あと、中華料理も。ラーメンとか箸で食べるとうまいぞ」
「うーん……でもさあ、おれ練習とかそういうのやなんだけど。長続きしないっていうか」
「俺が一緒にやるから。凛が綺麗に箸使えるようになったら、親父さんと一緒に食えるもの増えるぞ」
「……親父出してくるのはずるくない?」
凛はううん、と悩んでから、矯正箸を手に取って籠に放り入れた。
「じゃあユウちゃんも同じの使って、ちゃんとやり方教えて。どんなにおれができなくても付き合ってもらうから」
そう言う凛は、やったことのない夏休みの宿題に初めて挑戦する子どものようで。
「あと、色、黒じゃなくて、赤がいい」
悠は初めて、凛を可愛いと思ってしまった。
「で、ここに人差し指置いて……そう、それで合ってる」
「んん……なんか持ちづらいー」
「慣れれば大丈夫だよ。それで試しに、じゃがいも持ってみよう」
夕飯時、悠は凛に箸の持ち方を教えていた。
「こう?」
「刺すんじゃなくて、はさむんだ。こうやって」
悠は手本としてじゃがいもを持ってみる。
「こう? ってあー!」
凜はぽろりとじゃがいもを落としてしまう。
「っもーやだ! 別にこんなんできなくてもいいじゃん!」
「凛、初めてでできないのは当たり前だから」
「やだ! めんどくさいっ! 早く食いたい! フォークでいいじゃん!」
せっかく一度やる気になってくれたのだから、箸の使い方をマスターしてほしい。悠は立ち上がって凛の後ろに回り、その手を取って箸を握らせた。
「持ち方はあってるから、力を入れればいいだけだ」
凛の手に自分の手を重ねて、じゃがいもを箸で掴む。
「このまま、力入れたまま。離すぞ」
悠が手を離しても、じゃがいもは落ちなかった。
「ほら、できた」
「……ユウちゃんのくせに、おれのこと子ども扱いしたでしょ」
凛がむすっと顔をしかめる。機嫌を損ねて殺されるだろうか。びくっと肩を震わせると、凛はまあいいや、とじゃがいもを食んだ。
「ん……すっげーほろほろしてる。うまい」
「そっか、よかった」
「ユウちゃんわけわかんないんだけど。おれにビビってるくせに、平気で箸の使い方は教えるし、触ってくるし。もしかして早めに死にたいとか思ってる?」
「そ、そういうんじゃなくて……ただ、凛が箸使えるようになったら、もっと食事楽しくなるかなって思っただけだ」
大人に置いていかれた子どもの凛の一面を知る度、自分になにかできることはないかと考えてしまう。それがエゴと呼ばれるものだとわかっていても、それを止められない。だって凛が恐ろしいヤクザだったとしても、誰かが手を差しのべていいはずだ。
かつて、暗い部屋でひとり怯えていた自分を、父が救ってくれたように。
「だから、俺のわがままっていうか」
「……ほんと、ユウちゃんって謎。変わってる。変人だね。思考回路が独特」
「りっ……凛に言われたくない」
いつも何を考えているかわからなくて、こっちが翻弄されてばかりだと言うのに。
「ま、いーや。これキノコ?」
凛はなめこの味噌汁をくいと口に含む。
「ん……なにこれ、ぬめぬめしてる!」
「あ、なめこ駄目か?」
「んーん、なんか食感おもしろーい」
凛はいつもの満たされた笑顔に戻って、どんどんと皿を空にしていく。
悠はその日、凛への恐怖を一瞬忘れて、穏やかに夕食を摂った。
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