9 / 58

第九話 トマトリゾットと「ご馳走様」

「おい! 言われたモン買ってきたぞ!」  通されたキッチンは想像以上に広く、大鍋もあったので助かった。入り口で声を張る若衆──酒井の両手にはぱんぱんのビニール袋がある。 「酒井さん! ありがとうございます! すみません買い物頼んじゃって」 「けっ、どーせテメーの細腕じゃウチの組員全員分の食いモンなんて買ってこれねえだろうよ!」 「……そう、ですね。酒井さんがいてくれて、助かりました」  ぺこりと頭を下げると、酒井は居心地が悪そうに頭を掻いた。 「あー……で、これどうすりゃいいんだよ。なんか手伝うことあるか」 「えっ、あの、運んでくれただけで充分なので」 「うるせえ! この前のサンドイッチの分だ!」 「いや、あれは炊飯器運んでくれてお礼ですよ!」  酒井は口が悪いだけで、実は優しい男なのかもしれない。そう思いながら断っていると、玄関が開いて凛が入ってきた。 「酒井、ユウちゃん手伝いたい気持ちはわかるけど、ひとりでやんないと銀がずるしただのなんだの言ってくるだろ?」 「……うす」 「ってなわけでユウちゃん、ひとりで頑張って?」 「うん。じゃあ、作るな」 「ねね、何作んの?」  凛はうきうきしながらメニューをたずねてくる。やっぱり、最近は凛が可愛く見える。 「トマトリゾット。せっかくだから、あったかくてうまいもんにしようと思って」 「トマト? やったーおれトマト好きっ! 早く作って作ってー」 「わかったから、落ち着いてくれ」  悠は手早く米を洗い、炊飯器に早炊きでセットする。次いでキャベツとトマトを一口大に切って、大鍋で水を沸かし始めた。二十人分の水はなかなか沸騰しない。気長に待っていると、その時間で凜が九十九の愚痴を語った。やれ頭が固いだの、常識を考えろだの、かなり凜にも厳しいらしい。  米が炊けてから、白米、コンソメ、キャベツを入れてくつくつと煮込んでいく。しっかり味が染み込んだのを確認してから、トマトを放り込んでひと煮立ちさせた。 「凛、味見頼む」 「はぁい」  小皿にリゾットを少量盛って凛に手渡す。彼は一気にスープごとそれを飲み干して、うん、と呟いた。 「ちょーうまい! ユウちゃんの雑炊、やさしー味がして好き」 「今日は洋風だからリゾットな。凛がうまいって言うなら大丈夫かも」  それが、九十九の口に合うかはわからないが──。やれることはやったはずだ。 「じゃ、酒井。鍋運んで」 「はいっ!」 「え、あっ、俺が運びます!」 「こんな大鍋、てめえが運べるはずねえだろうが! 黙ってろ!」 「さーかーいー?」 「は、運ばせて、ください。自分やりますんで。他に必要なもんもウチのに運ばせます……」 「……ありがとう、ございます」  酒井は言葉の通り、他の若衆を連れてきて人数分の紙の深皿とスプーン、そしてリゾットが入った鍋を持っていってくれた。 「さ、銀をぎゃふんって言わせて、ユウちゃん?」 「俺はうまいって言ってほしいんだけどなあ……」  事務所に戻ると、鍋の前には組員たちが群がっていた。悠は鍋の蓋を開けて、おたまでぐるりとリゾットをかき混ぜる。  誰かがうまそう、と呟いた。それだけで顔が綻んでしまう。  深皿ふたつにリゾットを盛って、にこにこと笑っている凛に差し出す。 「はい、これ凛と親父さんの分」 「やった、一番乗り!」 「っ、待てテメェっ! 怪しいもん親父たちに一番に食わせるわけいかねえっ!」 「もうおれが味見ついでに毒味したから大丈夫だよ。お前ら親父より先にうまいもん食うつもり?」 「おお、できたか? いい匂いがしやがる」  龍一が組長室から出てきて、期待の目を込めて悠を見る。 「悠さん、こいつぁもう食ってもいいのかい?」 「あ、はいっ! どうぞ」 「ならいただくとするか」  組長は凛からリゾットとスプーンを受け取って、ふうふうと冷ましてからぱくりと口のなかにそれを放り込んだ。 「……ああ、うめぇ……」  ほう、というため息と共に零れた言葉。 「なんでこんなに飾り気がねえのにうめぇんだろうなぁ……」 「ね、超うまい!」 「あ、ありがとうございます!」  組長の食レポが効いたのか、ごくりと生唾を飲む音が聞こえた。 「っ、おい、オレにも寄越せ!」  組員のひとりがずい、と鍋の前に立つ。 「は、はいっ」  悠は急いでリゾットを盛って、スプーンと共に手渡した。  組員はいただきますを言わずに、リゾットをずずっと啜る。 「……うめぇ………」  彼の口から、ぽつりと言葉が零れる。それを皮切りに、次々と組員が俺にも寄越せと要求し出した。 「あ、あのっ、順番によそうので……!」 「はいお前らー。一列に並んで整列ー。守らないやつは指詰めるよー」  凛がぱんぱんと手を叩くと、組員たちは一斉に行儀よく並び始めた。ひとりひとりによそっていって、彼らがそれを食べて顔を綻ばせていく。 「うめえっ!」 「沁みる……」 「なんだこれ、ばあちゃんちで食ったことあるみてえな……」  その様子を見て、心がきゅうと満たされていく。悠は銀が事務所の端から様子を見ていることに気づいて、ひとり分をよそって近づいた。 「九十九さん、トマト、お嫌いじゃなかったら……」 「………………」  冷たい目が、悠を捉える。 「ご、ごめんなさいっ!」 「何も言っていません」  九十九は静かに器を受け取り、洗練された手つきで口に運ぶ。  どくん、どくんと心臓がうるさい。これで認めてもらえなかったら、どうすればいいのだろう。 「──素朴な、味ですね」 「っ、は、はいっ!」 「もっと洒落の効いたもので勝負してくるかと思っていましたが」 「俺、おしゃれな料理作るの慣れてなくて……」 「貴方の腕前は、充分にわかりました」 「…………」 「それと、料理を食べてもらえるのが好きだということも。うちの組員がうまいと言っただけであんなに喜ぶのなら、食事に毒など入れられませんね」  九十九は熱いはずのリゾットを、一気にぐいっと煽った。 「ご馳走さまでした。また作ってください」 「……っ、はい!」  嬉しい、嬉しい。料理で認めてもらえた。悠は嬉しさのあまり、涙が出そうになる。 「それと、私のことは銀と。貴方は佐神組の客人です。何なりとお申し付けください」 「ちょっと銀さあ、手のひら返すの早くない?」  がばっ、と凛が後ろから抱きついてくる。 「あーんなに認めませんーって言ってたくせに、お前チョロいんだね」 「り、凛」 「自分の目で確かめられることを確かめてから結論を出しただけです」  九十九は懐からスマートフォンを取り出して、何かを打ち込んでから悠に画面を見せた。 「それで悠さん、定期的なうちの組へのケータリングの代金は、これくらいでいかがでしょう?」 「……へ!? 定期的!?」  九十九の瞳は、一切の冗談を孕んでいなかった。   

ともだちにシェアしよう!