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第十三話 告解

 もう、想いを抑えることはできなかった。  凛を見る度、触れる度に、彼への恋心が募っていく。  けれど、悠に恋をすることは許されない。悩んだ末、悠が思いついたのは、凛から離れることだった。 「……銀さん、手っ取り早くお金稼ぐ方法って、どれくらいありますか」  けれど、悠の凛の間には、借金を肩代わりする分衣食住を提供するという契約がある。それを解除するには、莫大な金が必要だった。一生かかっても稼ぐことのできない、大きな額。 「……金が必要なんですか? そんなことをヤクザに聞くものではありませんよ。ろくでもない手段しか提示されませんから」  家までの帰り道、九十九は悠をちらりと見やった。凜が用事──本人は『挨拶』に行ってくると言っていたが、きっと殴り込みだろう──があるとのことで、代わりに九十九が送ってくれた。 「借金、返さないといけないんです」 「それは、凜さんが肩代わりしているのでは?」 「はい。だから、早く返さないといけなくて。……ホストとかって、稼げるんですか」 「水商売は貴方のような性格の人には向きませんよ。止めた方がいい」 「じゃあ、ビデオに出ればいいですか。借金取りが来た日、言ってたんです。『顔は悪くねえからソッチ系のビデオか』って」  それが何を意味するのか、理解できない程子どもではない。 「私に、それを斡旋しろと?」  九十九は話が早くて助かる。凛には内緒にしたいし、龍一は悠が身体を使って稼ぐことを許してはくれないだろう。 「すみません、銀さんくらいにしか頼めなくて」 「私なら斡旋すると思っているんですか」 「銀さんは、いつも合理的にって言ってくれるでしょう。組としても、債務者からちゃんとお金を取った方が周りに示しがつくんじゃないですか」 「──貴方は、凛さんに惚れているのではないのですか」 「っ……」  まさか、九十九にばれていたなんて。 「すごいな銀さん、わかっちゃうんだ……」 「貴方の態度を見ていればわかりますよ。好きでもない男に抱かれるのは、地獄でしょう。本当にいいんですか。後悔はしませんか」 「……いいんです。どうせ凛は、俺のこと、なんとも思ってないから」  悠は、ただの所有物だ。そこに愛も恋も存在しない。だから、凛に抱いてもらいたいなんて思ってない。 「それに俺は、誰かを好きになっちゃいけないんです。だから、一生凛には何も伝えるつもりありません。金が貯まるまでは内緒にして、全額払えるようになったら、凜の元を離れます。親父さんの食事は、こっそり届けますから」 「個人の感情は、自由ではないのですか。貴方が悠さんを好きになることで、何か不利益が?」 「はい。それが何かは、言えませんけど」  恋に狂ってしまうから駄目なんて、きっと言っても信じてもらえない。けれど悠は知っている。誰よりも優しくて誰よりも悠の味方だった人が、悠を殺そうとするほど、恋というものは人を変える魔力を孕んでいる。  そして悠は恋に狂った男の血を引いてしまっている。恐ろしいほどに、濃く。  許されない恋なんて、叶わない方が正解だ。 「銀さんにしか、頼めないんです。いつでも俺の携帯に連絡してください。待ってますから」 「悠さん、貴方は」 「俺みたいなやつ、凜の傍にいない方がいいんです」  悠はなんでもない風に微笑む。けれど──ちゃんと、笑えていただろうか。  今日もまた、凜のために夕食を作る。米を炊飯器にセットして、鶏肉に下味をつけたところで、小休憩だ。  ──身体売るのって、どんだけ稼げるのかな。痛いかな。  恐怖がないわけではない。けれどそれ以上に、凜の隣にいて駄目になってしまう方が怖かった。 『お前も父さんと同じなんだよ、悠』 「っ……」  夢の中の父の言葉を思い出して、小さく身体が震える。まだ間に合うはずだ。父のようにはならない。この恋心は凜にばれていない。必死に隠し通して、葬れば、まだどうにかできるはずだ。  そのために一刻も早く、金を。  そう思っていた時、玄関のドアが乱雑に開く音がした。  ばたばたという足音。凛の家に入ってこれる人間は限られている。合鍵を持っているのは九十九か龍一だけだ。けれどふたりがそんな乱雑に動くとは思えない。一体誰だろう。  バタン! とリビングのドアが勢いよく開いて。 「凛……?」  そこには、息を切らしている凜がいた。 「……まだ、いた…………」 「……凛? どうしたんだよ、そんなに急いで」 「……そんなに、おれから離れたいの?」 「え?」  凜が、悠の肩をがっしりと掴む。その瞳は、今まで見たことがないくらい焦っていて。 「身体売ろうとしてまで、俺から離れたいの?」 「っ、なんで、それ……。まさか、銀さん……!」  凜に、ビデオの斡旋を頼んだことを話したのか。彼はそんなに簡単に口を滑らすと思っていなかったのに。 「ねえ、そんなにおれのこと嫌い? もうメシ作るのやになった?」 「違う、嫌いなんて、そんなことっ……メシだって、ずっと作りたいと思ってる……! でもっ……」  むしろ逆だ。凜が好きだから、離れないといけなくて。 「じゃあ、何で」 「それ、は……」  言えない。言えるはずがない。きっと凜に想いを伝えたら、引かれるか、嫌われてしまう。 「……凛には、言えない……」 「……なにそれ」  凜は悠の顎をぐいと掬った。そして、燃えるような赤色の瞳で悠を捉えて。 「身体売るなら、買ってあげるからおれに売りなよ」 「……え?」 「いくらがいい? 他の男にヤられるくらいなら、おれがユウちゃん買うって言ってんの」 「何、言って……! 冗談やめろよ!」  そんな、悠に独占欲を持っているようなことを言わないで欲しい。この浅ましい心は、凜の紛らわしい一言で、嬉しくなってしまうから。 「こんな状況で冗談言うと思ってんの。いくら欲しいの。言いなよ」 「っ、駄目、だ……凜は、凛、だけは……!」  これ以上触れられたら、戻れなくなる。人として、何かが終わってしまう。 「なんで? 教えてくれないなら、今この場で抱くよ」 「っ……!」  もう、おしまいだ。凜との日常も、悠の始まりすら許されなかった恋も。綺麗に静かに終わらせることすら、できないなんて。 「り、凜が……好き、だから……」 「……は?」 「でも、駄目なんだ……俺は、恋愛しちゃ、いけない人間だから、ばれる前に、凜から逃げたくて……」  ぼろぼろと瞳から勝手に涙が零れる。終わった。全てが終わってしまった。凜にさえばれなければ、ささやかな恋未満の想いを抱えて生きられたのに。 「恋愛しちゃダメってなに? わけわかんないんだけど」 「凜も、俺の父さん知ってるだろ……父さんは、女の人に惚れて駄目人間になったんだ……実の息子捨てて殺そうとするような、人間に……。俺にも、同じ血が流れてる。俺も、誰かを好きになったら駄目になる……!」  凜にだったら、きっと殺されたって構わない。それくらいに、悠の想いは重くて、気持ち悪くて。 「だから、駄目なんだ……! 俺は、誰かを好きになっちゃいけない……!」  それは、父から与えられた呪い。悠を縛る、どうしようもないもの。 「……ユウちゃん、ばかじゃないの」 「……え?」  けれど、凜は呪いを馬鹿の一言で一蹴した。 「ユウちゃんのパパがクズなことと、ユウちゃんの恋愛は何も関係ないでしょ。そのくらいおれにだってわかるよ。ごちゃごちゃ考えすぎ」 「で、でも本当に、駄目だから……!」 「ユウちゃん」  凜が、こつんと額を合わせる。整った顔立ちに見つめられて、胸がどくりと高鳴った。 「おれ、恋愛したことないから、好きって気持ちわかんない。だからユウちゃんのこと、好きかどうかもわかんないよ」 「っ…………」 「でも、ユウちゃんが誰かに抱かれるかもって知ったらガラにもなく走ってたし、ユウちゃんなら抱ける。それに────ユウちゃんがおれのこと好きって言ってくれたら、今、胸がすっごい熱い」 「え……」  また、心臓が高鳴る。それは、まるで凜が悠のことを──。 「ユウちゃん、好きってどんな気持ちなの? ユウちゃんは、おれにどんな気持ち持ってんの?」 「お、俺は……」  凜を、どう思っているか。悠は必死に言葉を紡ぐ。 「……一緒にいると安心して、触られるとドキドキして……もっと触ってほしいって、思う……笑顔がいっぱい見たいし、怪我してほしくない……」 「他には?」 「っ……凜に、俺のメシ、ずっと食ってほしいって、思ってる……!」  どうして、一生隠し通すと決めた想いを言葉にしているのだろう。けれど、抑えつけていたものは一度溢れてしまったら止まることはできなくて。 「凛と、キスしたいっ……」  泣きながらそう言うと、凜の顔が近づいた。その意味を理解する前に、唇に何かが触れる。 「っ、ん……!」  口づけられている。凜に、好きな人に。  あまりの衝撃に涙が止まってしまった。唇が離れると、凜は悠を強く抱き締めた。 「おれも、ユウちゃんとちゅーしたい。いっぱい触りたい。おれにメシ作ってほしい。……ねえ、これって好きでいいの?」  赤色が、もう一度悠を捉える。この男からは逃げられない。本能が、そう悟った。 「教えて、ユウちゃん。おれはユウちゃんのこと、好きなの?」 「っ……」  ずるい。どうして、大事なところを悠に委ねるのだろう。恋を知らない凜に、凜の感情に、名前をつけることが許されるのだろうか。  けれど、悠は卑怯な人間で、もうとっくに恋に堕ちてしまっているから。  凜以上にずるい答えしか、出せなかった。 「凜は…………俺のこと、好きだと、おもう……」 「うん、じゃあユウちゃん、好きだよ。他の男のところなんて行かないでね。ずーっとおれの隣で、メシ作って」  再び、唇に温もりが触れる。名前をつけたばかりの恋心が与えられて、悠はくらりと眩暈を覚える。 「ん、んっ……り、ん…………」 「あはっ、ユウちゃん、かわい」  堕落した哀れな少年は、誰よりも恐ろしくて純粋な赤い男の背中に、腕を回した。

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