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第二十四話 思い出したものは
凜から逃げ出して、気がつけばビジネスホテルの一室にいた。足元には自分の荷物がボストンバッグに入って投げ出されている。
「──────」
静かだ。ずっと、夜の海に沈んでいる感覚がする。このまま真っ暗な世界に落ちて消えてしまえたら、どんなにいいだろう。
「──────」
ない。いない。もう、いない。
悠を愛してくれた凛は、どこにも。
凪のような絶望に包まれた少年は、ベッドに身を沈めて、ゆっくり目を閉じた。
パチパチ、と音がする。ごうごう、という音も聞こえる気がする。なんだか熱くて、呼吸がうまくできない。
「ん……」
けたたましいサイレンの音が響いて、近くで火事が起きているのだろうと思う。けれどそんなこと悠には関係なくて、このまま微睡みの中に落ちていこうとした。
けれど、熱さは段々と増していって、眠ることすらできなくなる。ゆっくりと目を開けると、目の前の床に火が落ちていた。
「……え?」
部屋を見渡すと、ところどころ火が昇っている。
「火事……」
そこでようやく、火事が起きているのが、今自分がいるホテルであると気がついた。
「──────」
ゆっくりと起き上がって、部屋を出る。廊下はもう火の海だった。全てが赤に包まれていて、どこに行くこともできない。
──そっか、俺、ここで死ぬのか。
悠は、あっさりと自分の運命を受け入れた。
だってもう、生きる意味はどこにもないのだ。ならいつどこで死んだって同じ事だと思った。
部屋の中から電子音が鳴る。スマートフォンを見ると、龍一から電話がかかっていた。
ああ、ちょうどよかった。悠の遺言を聞いてくれる人がいた。
「……もしもし」
『悠さん、よかった繫がったか! 凜がすまない、とりあえず俺の家に──』
「……親父さん、すみません、俺もう、死ぬみたいです」
『っ!? 早まるな悠さん!』
「違います、自殺じゃないですよ。……今、ホテルにいるんですけど、なんか火事みたいで」
『火事っ!? なら早く避難を……!』
「いえ、もう廊下にまで火が回ってて……多分もう助からないです。だから、親父さんに最期のお願いがあって」
『なっ……!? 悠さん、馬鹿なことを言うなっ! どこかから出られるかもしんねえだろ!』
「もういいんです。俺の人生は、もうあの時一回終わってたから」
父に捨てられた時──悠という人間のこれまでがなくなって、残り滓を凛が気まぐれに拾った。ただ、それだけの人生。だからもう、凛に不要だと言われたのなら、生きる気力はどこにも残っていなかった。
「親父さん、俺の父親、俺に生命保険をかけてたって言ってたんです。手続きとかよくわからないんですけど、その受け取り先を凛にしてもらえませんか」
『悠さん!』
「借金の額には届かないかもしれないけど……それでも、あいつにちょっとでも返したいんです」
『そんなことして凛が喜ぶと思ってるのか!』
「……いえ、きっと今のあいつなら、俺からの金なんて汚くて受け取りたくないって言うでしょうね。だから適当な名目つけて、親父さんから凛に渡してください。最後に面倒なこと頼んで、すみません」
煙が口に入ってきて、げほげほと咳き込む。
『悠さんっ! 馬鹿言ってねえで早く逃げろっ!』
「凛に……ありがとうって、伝えてもらえますか。迷惑だろうけど、それだけは」
悠を拾ってくれたこと、住む場所を与えてくれたこと、愛してくれたこと。凛には感謝してもしきれない。たとえそれが、気まぐれから始まったものだとしても。
「俺は、凛と一緒で、幸せだったから──」
炎がごうっと揺れて、大きな風が生まれた。あまりの風の強さに立っていられなくなって、ガラスが割れる。
「うわっ……!」
『悠さん! 悠さんっ!』
ガラスの破片から守るように手を隠す。最期の最期まで手を大事にするなんて、馬鹿みたいだ。
「凛、凛…………」
頭が痛い。うまく呼吸ができなくて、喉が焼けるように熱い。ここで自分は終わるのだと、そう悟った。
『やったっ! 絶対、ぜーったい作ってね! 約束だから!』
凜と、最後にした約束。それが、頭の中に浮かんで。
「おにぎり、作れなくてごめんな……」
凛に、もっと食べて欲しかった。笑って欲しかった。けれど、もう悠にはそれを望む資格がない。
薄れゆく意識の中、思い出すのは凛の楽しそうな笑顔。抱き締められて感じた、あたたかい温もり。
「凛……ごめん……」
静かに涙をひと筋流して、悠は炎の中で意識を手放した。
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