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第二十六話 「おかえり」
──ユウちゃん
自分を呼ぶ声がする。もう決して聞くことはないと思っていた呼び名。
「……凛?」
──ユウちゃん、おにぎり、うまかったよ
「……食べて、くれたのか」
──うん。泣いちゃうくらい、うまかった
「……そっ、かぁ……」
嬉しい。凛が、また食べてくれた。おいしいと言ってくれた。それだけで幸せだった。
「……じゃあ、もう、思い残すこと、ないなあ……」
この世に未練はひとつもない。悠は全身の力を抜いて、まどろみの中に落ちていく。
──ダメ、ユウちゃん。もっとメシ作って。ユウちゃんのメシ、食べたい。
「……そんなこと、言われても……もう、凛は俺のこと、嫌いだからさ…………」
汚いものを見る冷たい目が忘れられない。もう凛の中に、悠の居場所はない。
──嫌いじゃないよ。大好き。ずっと、ずっと好き。だからユウちゃん、起きて。お願い。
悠に都合のいい言葉につられて、ゆっくりと目を開ける。
「……おはよ、ユウちゃん」
そこには、微笑む凛の姿があった。
「……夢、だなあ……」
ユウちゃんと呼んでくれる。微笑んでくれる。悠を愛してくれる凛がいる。そんな、幸せな夢。
「俺の知ってる、凛がいる……」
「ユウちゃん、ねぼすけだね」
身体がぬくもりに包まれる。その体温は、夢だと思うにはあまりにもリアルで。
「夢じゃないよ」
その言葉を理解するのに、十秒の時間を要した。
「……り、ん?」
夢じゃない。夢じゃ、ないのなら。
「うん」
「……おもい、だした?」
「うん。ユウちゃんのおにぎり食ったら、ぜーんぶ思い出したよ」
「……っ!」
なら、今ここにいる凛は、紛れもなく。
震える手を背中に回す。それが拒まれることはなかった。
「り、ん……凜っ、凜っ……!」
ぼろぼろと涙が零れていく。戻ってきてくれた。誰よりも怖くて、優しくて、大好きな、悠の知っている凛が。
「ぁ、ああっ……! ぅ、ぁあああっ……!」
寂しかった。会いたかった。感情が濁流のように溢れて止まらない。
「り、っ……! ひっ、う、あああぁっ……!」
「ひどいこといっぱい言ってごめんね、ユウちゃん。許さないでいいよ」
「許すとか、許さないとか、もう、どうでもいいっ……! 凜、凜っ……おかえりっ……」
「うん、ただいま。ユウちゃん」
「っ、ぅ、っ、あ、あぁあっ……!」
涙は止まるところを知らない。子どものように泣きじゃくると、凛があやすように唇に触れた。
キスをしたのなんて、いつぶりだろうか。もう何年も、何十年もしていなかったようにさえ思える。
「りん、凛っ……!」
「うん、なあに?」
「ずっと、傍に、いたいっ……!」
「うん、そばにいて。ユウちゃん、大好き」
「っふ、ぅっ……!」
背骨が折れてしまうのはないかと思う程強く凛を抱き締める。
凛は、いつまでも悠を抱き締めて離さなかった。
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