32 / 58
第二部 第四話 綺麗な手
「ほらね? 言ったでしょ、死なないって」
病室に入るなり、凜はいつもの笑顔でそう言った。とても数時間前に腹を撃たれたとは思えない。けれど彼の腹部には、しっかりと包帯が巻かれていて。
「っ……」
悠は、袴田が闇医者を呼んでいる間も、凜が手術室に入っている間も、ただ泣くことしかできなかった。凜が死んでしまうかもしれない。そう思うだけで身体が言うことを聞いてくれなかった。
「っ、うっ……り、んっ……」
「もーユウちゃん心配しすぎ。 こっち来て?」
凜は両手を広げる。彼に近づくと、ぎゅう、と強く強く抱き締められた。
「ちゃぁんと生きてるでしょ。だいじょーぶだから」
「りん……凜っ……ひ、ぅっ……ぁ、うわぁぁああっ……!」
「なんで泣くのー? ユウちゃん大げさだなあ」
凜は何故か機嫌がよさそうに悠の顔に口づけを落としていく。零れていく涙を舐め取られて、頬がくすぐったい。
「いえカシラ、普通恋人が撃たれたらそうなりますって」
「だっておれだよ? 死ぬわけないじゃん」
「悠さんは人が撃たれるのなんて初めて見るでしょう……」
「凜、ごめんっ……お、俺の、せいでっ……!」
悠が助けて欲しいなんて言わなければ、悠を庇わなければ凜が撃たれることはなかったのに。悠がいたせいで、悠のせいで凜が怪我をした。悠が、無力だったから。
「え、どこがユウちゃんのせいなの? 悪いの銃持ってきたやつでしょ?」
「助けて、なんて、言ったからっ……!」
嗚咽を漏らしながら罪を告白すると、凜はふにりと悠の両頬を摘まんだ。
「おれはユウちゃんのヒーローなんでしょ? なら助けるのはとーぜんじゃないの?」
「でもっ……! 俺が自分で何とかできてたら、凜はっ……!」
「あはっ、素人が銃持ってる相手に何かできるわけないじゃーん。ユウちゃん変なところで思い上がるね」
いいからぎゅってして? と願われて、悠は傷が痛まないかと心配しながら凜を抱き締め返した。
「ごめん、ごめんっ……!」
「やだなぁ、謝んないでよ。ユウちゃん悪くないんだから」
「う、うっ……うう~っ……!」
「ゆーちゃーん? そんなに泣いたら目ん玉溶けるよー?」
いつまでも泣き止まない悠の頬に、凜の口づけがひとつ落ちる。
「っ、俺、護身術習うっ……喧嘩できるようになるっ……」
凜のお荷物にはなりたくない。少なくとも、凜が悠のせいで傷つくことが二度とないように、努力したかった。けれど凜は、そっと悠の手を握って。
「だぁめ。ユウちゃんは人殴んないで?」
「っ……」
そのまなざしは、大切な何かを守ろうとするヒーローのものだった。
「ユウちゃんの手は、うまいメシ作ってくれる手だから。人殴って血で汚れるのは、おれの役目でしょ?」
「で、も」
「なんだっけ、てきざいてきしょ? だっけ。お願いだから、ユウちゃんは綺麗なままでいてよ。ユウちゃんがボコボコにしたいやつは、ぜーんぶおれが殴ってあげる。ユウちゃん傷つけるやつからも守ってあげるから、ユウちゃんは誰も殴んないで。おれみたいな暴力だけのやつになっちゃだめ」
赤の瞳は愛しさを孕んでいて、人を傷つけることしかできないと言う手は、あたたかくて優しくて。
ずるい。悠に綺麗でいてほしいから、汚れを全部請け負うなんて。そんな卑怯なエゴが他にあるだろうか。
凜の手を汚させる罪を、どう背負えばいいのかわからない。きっと凜は、何があっても悠の手を汚させてくれない。
「お願い、弱いままの、おれに守られてるかわいいユウちゃんでいてよ。ユウちゃんのヒーローやるの、結構気に入ってるんだよ?」
そんなことを、楽しげな笑顔で言うから。
「っ、凛、凜……!」
悠は、彼を抱き締めることしかできなかった。
ともだちにシェアしよう!

