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第二部 第九話 落とすならまず胃袋を
じゅわわわわ、と肉の焼ける音が響く。悠は目の前で色を変えていくご馳走に目を奪われていた。
「はい、タン塩できたよ~食べて~」
「いただきますっ!」
肉の前に十八歳の男は無力である。凜が皿に盛ってくれた肉を掴んで、ひと口でばくっと食らいついた。
塩のさっぱりとした味わいと、薄いながらもしっかりと感じられる肉の旨味。
「んーっ! んまい」
「あはっ、かーわい。ほらもっと食って?」
凜はひょいひょいと焼けた肉を皿に乗せてくれる。明らかに凜の皿にある量より多い。
「り、凜、俺焼くから凜も食ってくれ」
「さっき言ったでしょ? おれ焼肉奉行なの。今日はおれに任せて、ユウちゃんは食べて食べて。ちゃぁんと自分の分は確保してるから」
「う、うん……」
肉を食べて白米をかきこむと、凜はいい食べっぷり、と楽しそうな笑みを浮かべた。
「はぁい、次はハラミね~」
凜は慣れた手つきで肉を焼いていく。確かに奉行と言われても納得だ。彼が焼いてくれる肉は今まで食べたことがないくらいにうまくて、頬が溶け落ちてしまいそうだった。
「ごはんおかわりする?」
「するっ! 大盛りで!」
「あはは、りょーかい。おねえさーん、白米大盛りとジンジャーハイと、上カルビくださーい」
人生で焼肉なんて数回しか行ったことがなくて、それも引きこもりになる前のことだからもう何年も前だ。久しぶりの肉の祭りに、舌が歓喜の悲鳴をあげている。
「はいロースできたよ~」
「ありがとう!」
はぐはぐと肉に食らいつく。悠が肉を堪能している姿を見て、凜がぐぴりと白桃サワーを煽った。
「あはっ、食ってるユウちゃんだけで酒すすむ」
「えっ!? の、飲んでばっかりだと身体に悪いぞ……?」
「だってうまそうに食うんだもん。連れてきた甲斐あったなあ」
焼肉を食べに行こう、と誘ってきたのは凜だった。たまには外でデートしようよ、と誘われて断るはずもない。正直夕飯のメニューに悩んでいたところだったので助かった。
「凜も食べてくれよ……ほら、焼けてる肉あるんだし」
「んー? これはねえ、まだなの」
悠が網の真ん中の肉を指さすと、凜は少し焼き目のついたそれをトングでひっくり返した。
「ホルモンってね、ちょっと焦げたくらいがすげーうまいの。これ親父直伝」
凜は自慢げな顔でどんどんと他の肉を焼いていく。
「佐神組って入って一番最初に覚えさせられるのが、タバコの火のつけ方とか挨拶の仕方じゃなくて、ホルモンの焼き方なんだよ」
「……なんで?」
「親父が好きだから。ここも親父の行きつけなの。ユウちゃんが来るまでもう食べる気起きないって通わなくなってたんだけどね」
じゅう、じゅうと肉が音を立てている。次々と皿に盛られる肉と格闘しながら、佐神組の通過儀礼を聞き続ける。
「おれも最初入った時、急にここ連れてこられて。『ウチのもんになるならまずはホルモンの焼き方覚えろ』ってさ。当然焼肉なんて食ったことないからびっくりしちゃった」
「へえ……それっていくつの時?」
「んー、十四だから八年前? でさ、親父がホルモン焦げるまで焼くからアンタアホ? って聞いて、後でめっちゃボコられた」
「凜……」
「だってその頃は忠誠心とかなかったんだもーん。でも、いきなり組入ったばっかのガキにメシ奢ってくれたからさ、とりあえずコイツについてったら食いっぱぐれることはないんだろうなって、ちょっと安心したよ」
凜の人生がどれだけ壮絶なのか、悠には想像もできない。ただ今彼が食に困ることがなくて、悠の食事を毎日喜んで食べてくれているのが、どうしようもなく嬉しかった。
「……箸使えなかったのに、焼肉食えたのか?」
「フォーク使って食ってたよ?」
「お待たせしました!白米大盛り、ジンジャーハイ、上カルビです!」
「あ、ありがとうございます!」
店員が流れるような手さばきで注文したものを机の上に乗せてくれる。
「はい、お待ちかねのホルモンだよー」
ぽん、と皿に乗せられた肉は、表面がかなり焦げついていた。本当にこれでいいのだろうか。
「見た目やばいでしょ、でもね、すっげーうまいから食ってみて」
「う、うん」
意を決してホルモンを口の中に入れる。すると、確かな弾力と共に溢れんばかりの甘い脂が口の中でとろりと零れる。
「んー!」
噛んでも噛んでも無限に脂が出てくる。こんな肉、食べたことがない。
「凜、凜っ! これすっげーうまいっ! 俺ホルモン初めて食ったけど、こんなにうまいの!?」
「わぁ、もう百点満点のリアクション。うまいでしょー」
焦げの部分のカリカリした食感と、中の柔らかい部分の塩梅がなんともいえずにうまい。もしかしたら焼肉で一番好きかもしれない。
凜は更にホルモンを皿の上に乗せてくれる。特製のタレにつけてそれを食むと、たったひとつの肉で大盛りの白米が半分消えた。
「ごはんおかわりするよね?」
こくこくこく、と頷くと、凜がリスみたいと笑った。
「おにいさん、白米大盛りふたつと上ホルモン二人前お願いね」
「はい! かしこまりましたー!」
「ホルモン焼けるまで時間かかるから、それまで別の食って待っててね。はい」
凜がまた別の肉を悠にくれる。悠はただひたすらそれを食らい続け、存分に腹を満たした。
「ごちそうさまでしたっ!」
「はぁーい」
食べ放題だからと、動くのが苦しいくらいに食べてしまった。サービスでもらった飴を舐めながら、ふたりで帰路につく。
「凜、本当にありがとう。すげえうまかった」
「んーん? 普段ユウちゃんが食わせてくれてるんだから、これくらい気にしないで」
「それは好きでやってることだから」
そう言うと、凜はぴたりと足を止めて、悠の頬に触れた。
「好きでやってることでも、毎日してたら疲れちゃうでしょ」
「……心配、してくれたのか?」
「好きな子心配しちゃだめ? おれメシ作んのは無理だけど、外に食いに行くならいくらでも連れてってあげるからさ」
「凜……」
彼の優しさに、胸がきゅうと疼く。抱きつきたいのにここが外なのが悔やまれる。
「それに、惚れさせるなら胃袋掴めって、ユウちゃんが教えてくれたからさ。おれもそれやろーって思って」
「……食べ物なくても、とっくに惚れてる」
「もっとベタ惚れになってほしいのー」
凜がそっと腰に手を回して、頬を擦り寄せてきた。
「いーっぱい食べたから、ちゃんとカロリー消費しようね」
「そうだな。動画でエクササイズとかするか?」
「あはっ、それもいいけど」
凜は、悠にしか聞こえないくらいの声で、甘い言葉を囁く。
「ベッドの上で、激しい運動しない?」
「っ! な、っ……!」
「いーっぱい腰振ったら、いい運動になると思うんだよね。どう?」
「ど、どう、って……」
急な夜の誘いに、頭がついていかない。彼が柔く腰を揉んで、悠の欲を煽る。
「やならやって言って? ユウちゃん」
彼との触れ合いが嫌かどうかなんて、そんなの。
「嫌……じゃない……」
顔を真っ赤にしながら答えると、口づけがひとつ落ちてきた。
「かぁわいいっ。じゃ早く帰ろ?」
凜は悠の手を引っ張って歩き出す。もしかしたら外食をする度にこういったことをするのかと思いながら、悠は彼の歩幅に会わせて足を進めた。
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