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第二部 第十一話 スキンケアと心の傷
「はぁい、お手入れの時間でーす」
風呂あがり、リビングの机の上には大量のスキンケア用品。ヘアバンドで前髪を上げられた悠は、化粧品が目に入らないようにきゅっと目をつむった。
「いーこ。じゃあ行くね~」
ぺたり。濡れた凜の手が頬、額に触れていく。凜に風呂あがりに『手入れ』をされるようになってから、格段に肌の調子がいい。触れただけでもちっとするし、つやつやだ。
暑くなってきた季節には、ひんやりした水分が顔に当たるのが気持ちいい。
「次化粧水ね」
「なあ……前から気になってたんだけど、なんで化粧水二回やるんだ?」
「一番最初のは導入化粧水。化粧水が肌に入ってきやすいようにするやつ」
「肉の下味的なことか……?」
「おれ下味がわかんない」
また液体がぴたぴたと肌につけられる。凜はずっとご機嫌で、鼻歌なんかを歌っている。
「ユウちゃん肌すべすべになってきたよね~」
「そりゃ、毎日手入れされてたら効果は出るだろ……」
「うんうん、順調に育ってくれておにいさん嬉しいですっ。次乳液ね?」
少しもったりとしたクリームを丁寧に肌の上に乗せられる。大きな化け猫に食べられる前の人間も、こうやって身体にクリームを塗りたくったのだろうか。
「アイクリームいきま~す」
次は瞼にクリームを塗られる。どうしてこのクリームだけ目の上にしか塗らないのか不思議だが、多分説明されてもわからないだろう。
「はぁい、終わり~」
目を開けると、凜は自分の肌に化粧水を塗り始めていた。
「凜、あのさ……やっぱりこんな高いの、俺に使わなくていいんだぞ?」
凜の化粧品が高級なものであることはパッケージを見ればすぐにわかる。正直悠は自分の見目にそこまで重きを置いていない。なんだがもったいない気がした。
「お手入れ、いや?」
「嫌っていうか……俺には勿体ないし、凜の化粧水使わせるの、悪いし……」
「勿体ない?」
凜はむすっと頬を膨らませて、化粧水を吸ったばかりの両頬をむにりと掴んだ。
「あのねユウちゃん、おれは姐さんに『自分の手入れは欠かすな、自分を大事にできないやつは何一つ守れないで死ぬだけだ』って言われて、これ欠かさないでいんの、わかる?」
「う、うん……」
「つまり手入れは自分の為に必要なことなの。ていうかさ、前から気になってたけど、ユウちゃんって結構自分のことどうでもいいって思ってるでしょ」
「そ、れは……」
確かにその自覚はある。だって、悠は自分に自信がない。
「なんでそんな自信ないの? ユウちゃんふつうにすげーのにさ」
「……その、昔……いじめられて、何もできなかった時期があって……」
中学生の頃についた傷は、永遠に癒されることはない。毎日罵倒されて、傷つけられて、自分なんかこの世に存在しない方がいいと刻まれた。
「いじめ? なにそれ、おれがいじめたやつ探し出して全員殺せばいい?」
「いいっ! そんなことしなくていいから! ……その時に、俺なんかいてもいなくてもいいんだから、もうどうでもいいやって、思っちゃって……」
「ばぁーか」
ぐにっ、と頬を強く掴まれた。
「痛ひゃいっ」
「おれにうまいメシ食わせてくれてんのも、親父を食えるようにさせてくれたのも、おれのこと大好きーって言ってくれるのも、ぜんぶユウちゃんなのに、なんでそんなこと言うの?」
凜は上機嫌が一転、むくれた顔で悠の頬をいじめ続ける。
「ご、ごめん……」
「何が悪いかわかってないでしょ、ばか」
凜はこつん、と額を合わせて悠をじっと睨む。
「おれが大事にしてるユウちゃん大事にしないの、ユウちゃんでも許さないから」
「凜……」
大事にされている。悠のことを、大切だと思ってくれている。料理以外何の取り柄もない、平凡な悠を。こんなに大事にしてくれているのに、悠はまだ自分に自信が持てないのが申し訳ない。
「……ご、めん……」
「謝んなくていーから、もう『俺なんか』って言うの禁止ね」
「……多分、すぐには変えられないと思うけど……頑張る……」
そう言うとようやく頬を解放されて、額に口づけが落ちた。
「じゃあユウちゃんが自信持てるように、今からユウちゃんのすげーところとかわいいところ、全部言うから」
「へっ!?」
「えっとね、まずは」
「ま、待って凜、それは恥ずかしいっていうか」
「だぁめ。待たない」
頭をがっと掴まれて、逃げ道を塞がれる。凜による悠の自慢大会は一時間に渡り、浮かび上がった心の傷は甘い言葉に溶かされてしまった。
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