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第二部 第十二話 味噌汁についての考察

「『俺に毎日味噌汁作ってくれ』って言葉、あるじゃんか」 「また随分古い言葉出してきたねえ、ユウちゃん。あるけどさ」  キャベツと半熟卵の味噌汁を飲みながら、凜が答える。今日味噌汁を作っていてどうしても気になったことがあった。 「いくら昔でレパートリーが少なかったとはいえさ、毎日味噌汁って飽きないか……?」  味噌汁は確かにおいしい。具材だって何でも合う。悠も困った時にはとりあえずあるものを味噌汁にぶちこんでいるところがある。だがそれにしたって、である。 「せめておすましとローテーション組んだりとかしないと無理じゃないか? 味噌って一回買ったらなかなかなくならないから味噌自体の味はしばらく一種類なわけだし」 「うーん、多分昔のひとそこまで考えてないと思う。知らないけど」 「『毎日ご飯作ってくれ』ってことなら、そのまま言うか『毎日白米炊いてくれ』の方が現実味あると思わないか?」 「まあ確かに白米は毎日食べても飽きないけどさ」  凜はもぐもぐと豚肉と茄子の炒め物を咀嚼する。今日も食べっぷりが見ていて気持ちいい。 「なんで味噌汁にこだわったんだろ……」 「その言葉そんなに真剣に考えてる人間、初めて見たよー。ま、おれ毎日味噌汁でも飽きないけど」 「え、そうなのか?」  作る側からしたら毎日同じものは飽きるだろうと献立を考えているのだが、食べる側はそうではないらしい。 「だってうまいじゃん、味噌汁。それにユウちゃん、味噌汁のレパートリーめっちゃ多いし、全部うまいもん」 「……そっか」  褒められたのが嬉しくて、きゅうと服の裾を掴む。毎日されていることだが、凜に褒められるのは幸せだ。 「今日のやつもさあ、めっちゃ好き。普通にそのまま食ってもうまいし、卵割るとまた味変わってうまいし」  そう、今日の味噌汁は二段構えなのだ。まず白身とキャベツの味を楽しみ、途中で黄身を割ることでまろやかな味わいが生まれる。悠もこの味噌汁が好きだった。 「凜が気に入ってくれて、よかった。他に好きなのあるか?」 「んーとね、全部うまいけど……この前のトマトのやつうまかった」 「ああ、あれな。凜トマト好きだからいいかなって思ったんだけど正解だったな」  トマトと油揚げを出汁で煮立たせて味噌を入れるだけの簡単なものだが、凜のお気に召したらしい。 「味噌汁って、基本合わないものがないって言われてるくらいなんだ。だから俺もよく作るし」 「へえー、すご」 「あとは味噌自体にもいろいろ種類があって……赤味噌と白味噌のブレンドとかで作る人もいるらしいんだけど、それは流石にやったことなくて」 「……そういえばさあ」  凜が、ふと思い出したように呟いた。 「組抜けて味噌屋に就職したやついたんだよね。実は組の事務所から結構近いとこでやってて」 「味噌屋!?」  専門店なら、きっと沢山の味噌がある。そんなの夢の空間ではないか。 「うん。そいつ味噌汁好きすぎて毎日味噌汁事務所に持ってきてたくらいなんだよね」 「そ、その味噌屋ってどこに……」 「聞けばわかるよ。明日行ってみる?」 「行くっ!」 「あははっ、じゃあデートだね」  未踏の味噌屋に思いを馳せる。どんなところだろうか。何種類くらい味噌があるんだろうか。夢は尽きなくて、悠はその日なかなか寝付けなかった。 「ここが……味噌屋……!」  木造の店内には、外からでも沢山の味噌の樽があるのが見えた。 「ふわああ……!」 「ユウちゃん、テンション上がりすぎー」 「だって、だって凜、あんなに沢山味噌が!」 「はいはい、わかったから」 「カシラ! ご無沙汰してます」 「亮介、久しぶりー」  味噌屋から出てきたのは、少し目つきが悪いが清潔感のある男性だった。 「まさかカシラがウチの店に来たいなんて言うと思いませんでしたよ!」 「お前もう組抜けたんだからカシラは止めなよ。それと来たかったのはおれじゃなくて、この子」 「あっ、初めまして! 中野悠と申します。えっと、その……凜のお世話をしている者です」  恋人、と初対面の人に言うのが恥ずかしくて、嘘ではない言葉で関係を濁す。すると凜ががばっと抱きついて、頬を寄せてきた。 「今おれにメシ作ってくれてる、かわいいかわいい恋人ね。手出したら殺すから」 「凜っ!?」 「……カシラ、じゃなくて凜さん、ソッチいけたんすか?」 「知らない。本気で好きになったのユウちゃんだけだもーん。初恋ってやつ?」  凜は恥ずかしげもなくそんなことを言ってのける。凜の初恋の相手が悠だなんて知らなかった。  顔を赤くしていると、凛がひとつ瞼に口づけを落としてきた。 「ほーら、照れてないで入ろ? 亮介、ちゃんと案内してよ」 「うす! どうぞ中に!」  店内は暑すぎず寒すぎず、適温を保っていた。木造のせいか、味噌の香りと一緒に気の匂いもする。  そして目の前に広がる味噌、味噌、味噌の山。 「すっげえ……」  思わず感嘆の声が漏れる。 「今日は何かお目当てが?」 「あ、えっと……とにかく味噌が欲しくて……でも違いがよくわからなくて……どうしようかな……」 「そうすね、じゃあ順番に聞いていきますね。ウチは味噌自体の種類の他にも『つぶつぶ』と『なめらか』って分類がしてあって、大豆の形が残っているかどうかで分けてるんすよ。どっちがお好みでしょう?」 「ええと……それなら、粒がある方がいいです」 「赤味噌と白味噌、どっちがお好きですか?」 「普段は赤味噌なんですけど、白味噌もいいなあって。けどあんまり淡白だと具材が強い時に負けちゃいそうで」  亮介はヒアリングをしながら、色々な味噌を見せてくれる。 「ウチの常連さんは、赤味噌と白味噌を両方買って合わせ味噌にしてますよ。比率を変えることで味噌の味もその都度変わって面白いし、バランスも取りやすいっす」 「両方、かあ……」  だがそんなに味噌を大量に買ってもいいものだろうか。ううんと悩んでいると、凜が後ろから悠を腕の中に閉じ込めた。 「両方買えばいいじゃん。金のことなら心配しないでいーよ」 「凜……」 「じゃああとは味噌の種類っすね。大きく分けて甘口と辛口があるっす」 「うーん……甘口、かなあ。多分……」 「甘口っすね。だと今回は初めてなんで、スタンダートな『うちみそ』をおすすめしますよ。赤と白両方あって、何にでも合う万能向けの味噌です。これを基準に、色んな味噌を試してもらえればって感じっす」 「それでお願いします!」 「うす! 量はどれくらいにしましょう? 量り売りなら五百グラムからがお得になりますけど」 「じゃあ五百でお願いします」 「かしこまりました。玄さん、うちみその赤と白、粒で五二十ずつお願いしますっ!」  亮介が声を張って奥にいる職人らしき老人に声をかける。老人はこくりと頷いて、三角形に盛られた味噌を一気に掬って量り始めた。 「今回は知り合いってことでちょっとおまけするっす。気に入ったらまたウチきてください」 「え、そんなっ」 「いいんす。凜さんには世話になりましたから、これくらい」 「へえー亮介、お前そんなこと思ってたんだ」 「そりゃ思ってますって! あ、沢山買ってくれたお客さんには無料で試供品つけてるんで、そっちも試してみてくださいっす」  亮介は少年のような笑顔で、楽しそうにそう言った。  会計を終えて、店の外に出る。 「ありがとうございます、亮介さんっ! これで凛にうまい味噌汁作れます!」  満面の笑みで礼を言うと、亮介の頬がぽっと赤らんだ。 「う、うす……」 「こぉら。亮介? ユウちゃんに惚れんのは仕方ないけど、手出したら殺すって言ったよね?」  凛に後ろから抱き締められて、頬にひとつ口づけが落ちる。こんな昼間から、往来で。 「ちょっ、凛!?」 「ほ、惚れたりしませんて! 凛さんのオトコなんすから!」 「あはっ、よーくわかってるじゃん。そ。ユウちゃんはおれのオトコなの」  凛は猫のように頬を擦り寄せてきた。触れられるのは嬉しいが、人前は流石に恥ずかしい。 「凛、駄目だって!」 「えーなんでぇ?」 「外だからだよっ!」 「ちえー。じゃ家帰ったらいっぱいイチャイチャしてもいーってことだよね?」 「っ……それは、そのっ……顔近いっ! わかった、家ならいいからっ」 「あはっ、やったー忘れないでね?」  彼はようやく悠を解放してくれた。 「亮介さん、本当にありがとうございました。また買いに来ますね」 「はいっ! またのご来店、お待ちしてますっ!」 「ね、ユウちゃん手繋いで帰ろ?」 「…………それくらいなら、まあ……」  差し出された手を握り返す。凛が持っている袋からは、香ばしい味噌の香りが漂った。   「うまかった……」  今日の味噌汁は段違いに美味しかった。大豆の食感、香り、全てが悠と凜の好みだった。 「ちょーうまかったね……」  凜もほう、と夢見心地で呟く。明日の分も作ったのに、ふたりで何回もおかわりをして鍋を空にしてしまった。 「昨日言ったこと訂正する……あの味噌で作った味噌汁なら、俺毎日食える」 「同感。もうしばらく味噌汁祭りにしよーよ」 「それもいいな……明日はほうれん草にしようかな」  冷蔵庫の中身を思い出して、早速味噌汁の具材を考える。 「ユウちゃん、味噌屋楽しかった?」 「そりゃもう! 連れてってくれてありがとう!」 「味噌屋でここまでテンション上がる十八歳いないと思うなあ」  悠はソファに投げ出されている凜の手を、きゅっと握った。 「凜、これから毎日味噌汁作るから、楽しみにしててくれ!」 「……それ、逆プロポーズ?」 「へ? ……あ、えっ!? いや、そういう意味じゃっ!」  慌てふためいていると、凜がくくくっと腹を抱える。どうやらからかわれたらしい。 「ユウちゃん、マジでおもしろ……」 「その、プロポーズはもっとちゃんとするから! 指輪用意して、夜景見えるホテルとかで、結婚してくださいって言うから!」 「ふぅん? してくれる予定あるんだ?」 「っ……ちゃんと、稼げるようになったらする、から……ちょっと待っててほしい……」  凜の隣にずっといたいと思っている。それが結婚という形になるのであれば、そうなりたいとも思う。けれど今の悠は法律上成人したばかりの、中身はまだまだ子どもだ。だからいつか、自分の食い扶持くらいは稼げるようになってから、凜に生涯のパートナーになってほしい。 「言っとくけど、ヤクザと結婚て大変だよ? いーの?」 「……凜と一緒にいられるなら、何だっていいよ」  ぽす、と彼の肩に頭を預けると、額に口づけが落ちてくる。 「じゃあユウちゃんの一世一代のプロポーズ、楽しみにしてるね?」  小さくて大きな約束をしたふたりは、どちらからともなく互いを包み込んだ。

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