45 / 58

第二部 第十五話 風邪引きと看病

「げほっ……けほっ」  寝室に苦しい咳の音が響く。 「ユウちゃん、苦しい?」 「大丈夫、だから……凛は、リビングに行って……」 「やぁだっ、ここにいるっ!」  ベッドに肘をついてこちらを見る凛は意固地だ。悠はどうしたものかと頭を悩ませた。  風邪を引いてしまった。熱もあるし頭も痛い。身体がだるくてうまく動かない。 「けほっ、けほっ……」 「ねえ、やっぱり医者呼ぶ?」 「いいよ……もう薬は貰ったし、すぐ直るから」  凛は風邪を引いたことがないらしくて、朝起きた時ふらついたらひどく心配された。そして心配だからと、移ってしまうかもしれないのにこうして隣にいてくれる。心細いから嬉しい反面、彼に風邪を引いて欲しくないとも思う。 「ごめん……メシ作れなくて。冷蔵庫に残り物あるから、それでなんとかしのいでくれるか……?」 「もーユウちゃん! こんな時までおれのメシのこと考えなくていーのっ! ユウちゃんは? なに食べたい?」  おかゆのような優しい味のものが食べたいが、家にストックはないし自分で作ることもできない。凛に頼んでレトルトを買ってきてもらおうとした、その時。  ピンポン、と呼び鈴が鳴った。 「誰だろ? 出てくるね」  凛が部屋を出て十数秒。寝室に入ってきたのは、九十九だった。 「お邪魔します」 「銀さん!? ……げほっ!」 「どうかそのままで。親父から見舞いの品を渡すよう言われまして。粥やゼリーなどなのですが」  銀はそう言って、持っている紙袋から高級そうな粥とゼリーを出した。 「わ……! 助かります!」 「腹は減っていませんか。この中で食べたいものがあれば温めてきます」 「えっと……じゃあこれを」  悠は鶏だし雑炊、と書かれているパッケージを指差した。一瞬比内地鶏と書いてあるような気がしたが、気のせいだと思いたい。 「承知しました。キッチンをお借りします。ゼリーやプリンは冷蔵庫にしまっておくので、お好きな時に」 「…………」  凛はなぜか、むすっと頬を膨らませていた。 「はあ……うまかった…………」  味覚があってよかった。あんなにおいしい雑炊は生まれて食べた。九十九は雑炊を用意すると、気を遣ってくれたのかすぐに帰ってしまった。 「けほ、げほっ」  咳止めを飲んでも咳はあまり治まらない。  ベッドで咳き込んでいると、凛が頬杖をつきながら悠に問いかけてきた。 「ねえ、ユウちゃん」 「なに?」 「殺したいやついない?」 「……は?」 「あとぶっとばしたいやつとか」 「い、いないよ……?」  凛は寂しそうな顔をして、こつん、と額をくっつけてきた。 「ほんとに? 誰でもいいよ、すぐにボコボコにしてあげるよ?」 「そんな人いないって……どうしたんだよ急に」 「だって……」  彼は、子どものような表情で。 「おれ、ユウちゃんになにもできないじゃん……」  凛は風邪を引いたことがない。だから当然、看病の仕方だって知らない。風邪を引いた時にどんな食事を用意するのかだってわからない。 「誰かボコボコにするのなら得意だからさ……おれに任せてよ……」 「凛…………」  そっと彼の頬に触れる。移してしまうからと我慢していたけれど、もう限界だ。 「心配してくれるだけで、嬉しいのに?」 「ユウちゃんが弱ってる時になんもできないの、すげーいや」 「……じゃあさ、わがまま言ったら聞いてくれるか?」  彼の憂いを晴らしたくてそう言うと、凛の瞳がきらりと輝いた。 「なに!? なにしてほしい!?」 「さっき銀さんが持ってきてくれたプリンが食べたいんだ。持ってきてくれるか?」 「うんっ!」  凛は急いで部屋を出ていき、十数秒で戻ってきた。 「なんかいっぱいあった! どれがいい!?」  抹茶にミルク、プレーンにいちご。デパートに売っているようなそれの中から、悠はプレーンを選んだ。 「はい、あーん!」  凛は甲斐甲斐しくプリンの蓋を開け、中身を掬って悠の口元に持っていく。少し、いやかなり恥ずかしいが、笑顔の凛を見たらそんなこと言えなかった。 「あ、あーん」  つるんとした食感の生地が舌の上を滑る。濃厚な卵とクリームの味わいだけで、口の中が幸せになる。 「うま……」 「かーわいっ、ほらもっと食って?」  自分で食べると言う前に、凛がまたひと口を差し出す。悠は熱以外の理由で頬を染めながら、プリンを全て食べきった。 「……凛、あのさ、もう一個わがまま言っていいかな」 「なぁに? なんでも言って?」 「移るかもしれないけど……一緒に寝て欲しい……」  キングサイズのベッドはひとりで眠るには広すぎる。それに、凛の体温に包まれて眠りたい。 「あはっ、そんなこと? だめって言うわけないじゃん」  凛は満面の笑みでベッドに入ってきて、悠をぎゅうと腕の中に閉じ込める。 「おれ絶対風邪引かないし、ユウちゃんにだったら移されてもいーよ」 「風邪って結構辛いんだぞ?」 「じゃあ辛い人はでろでろに甘やかされてくださーい」  いくつものキスが降ってくる。凛の愛情に包まれていると、だんだんと眠気がやってきた。 「眠い?」 「うん……」 「寝ちゃえ寝ちゃえ。いっぱい寝て、早く元気になって?」 「うん…………」  瞼が重い。少しずつ意識が遠退いていく。 「…………♪ …………♪」  とん、とん、と背中を叩かれて、いつも悠が歌っている子守唄が聞こえてくる。  凛の中で寝かしつけと言ったらこれなのだと実感して、なんだか嬉しくなってしまった。  悠は不器用で大好きな想いにくるまれて、そっと目を閉じた。   

ともだちにシェアしよう!