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第二部 第十五話 風邪引きと看病
「げほっ……けほっ」
寝室に苦しい咳の音が響く。
「ユウちゃん、苦しい?」
「大丈夫、だから……凛は、リビングに行って……」
「やぁだっ、ここにいるっ!」
ベッドに肘をついてこちらを見る凛は意固地だ。悠はどうしたものかと頭を悩ませた。
風邪を引いてしまった。熱もあるし頭も痛い。身体がだるくてうまく動かない。
「けほっ、けほっ……」
「ねえ、やっぱり医者呼ぶ?」
「いいよ……もう薬は貰ったし、すぐ直るから」
凛は風邪を引いたことがないらしくて、朝起きた時ふらついたらひどく心配された。そして心配だからと、移ってしまうかもしれないのにこうして隣にいてくれる。心細いから嬉しい反面、彼に風邪を引いて欲しくないとも思う。
「ごめん……メシ作れなくて。冷蔵庫に残り物あるから、それでなんとかしのいでくれるか……?」
「もーユウちゃん! こんな時までおれのメシのこと考えなくていーのっ! ユウちゃんは? なに食べたい?」
おかゆのような優しい味のものが食べたいが、家にストックはないし自分で作ることもできない。凛に頼んでレトルトを買ってきてもらおうとした、その時。
ピンポン、と呼び鈴が鳴った。
「誰だろ? 出てくるね」
凛が部屋を出て十数秒。寝室に入ってきたのは、九十九だった。
「お邪魔します」
「銀さん!? ……げほっ!」
「どうかそのままで。親父から見舞いの品を渡すよう言われまして。粥やゼリーなどなのですが」
銀はそう言って、持っている紙袋から高級そうな粥とゼリーを出した。
「わ……! 助かります!」
「腹は減っていませんか。この中で食べたいものがあれば温めてきます」
「えっと……じゃあこれを」
悠は鶏だし雑炊、と書かれているパッケージを指差した。一瞬比内地鶏と書いてあるような気がしたが、気のせいだと思いたい。
「承知しました。キッチンをお借りします。ゼリーやプリンは冷蔵庫にしまっておくので、お好きな時に」
「…………」
凛はなぜか、むすっと頬を膨らませていた。
「はあ……うまかった…………」
味覚があってよかった。あんなにおいしい雑炊は生まれて食べた。九十九は雑炊を用意すると、気を遣ってくれたのかすぐに帰ってしまった。
「けほ、げほっ」
咳止めを飲んでも咳はあまり治まらない。
ベッドで咳き込んでいると、凛が頬杖をつきながら悠に問いかけてきた。
「ねえ、ユウちゃん」
「なに?」
「殺したいやついない?」
「……は?」
「あとぶっとばしたいやつとか」
「い、いないよ……?」
凛は寂しそうな顔をして、こつん、と額をくっつけてきた。
「ほんとに? 誰でもいいよ、すぐにボコボコにしてあげるよ?」
「そんな人いないって……どうしたんだよ急に」
「だって……」
彼は、子どものような表情で。
「おれ、ユウちゃんになにもできないじゃん……」
凛は風邪を引いたことがない。だから当然、看病の仕方だって知らない。風邪を引いた時にどんな食事を用意するのかだってわからない。
「誰かボコボコにするのなら得意だからさ……おれに任せてよ……」
「凛…………」
そっと彼の頬に触れる。移してしまうからと我慢していたけれど、もう限界だ。
「心配してくれるだけで、嬉しいのに?」
「ユウちゃんが弱ってる時になんもできないの、すげーいや」
「……じゃあさ、わがまま言ったら聞いてくれるか?」
彼の憂いを晴らしたくてそう言うと、凛の瞳がきらりと輝いた。
「なに!? なにしてほしい!?」
「さっき銀さんが持ってきてくれたプリンが食べたいんだ。持ってきてくれるか?」
「うんっ!」
凛は急いで部屋を出ていき、十数秒で戻ってきた。
「なんかいっぱいあった! どれがいい!?」
抹茶にミルク、プレーンにいちご。デパートに売っているようなそれの中から、悠はプレーンを選んだ。
「はい、あーん!」
凛は甲斐甲斐しくプリンの蓋を開け、中身を掬って悠の口元に持っていく。少し、いやかなり恥ずかしいが、笑顔の凛を見たらそんなこと言えなかった。
「あ、あーん」
つるんとした食感の生地が舌の上を滑る。濃厚な卵とクリームの味わいだけで、口の中が幸せになる。
「うま……」
「かーわいっ、ほらもっと食って?」
自分で食べると言う前に、凛がまたひと口を差し出す。悠は熱以外の理由で頬を染めながら、プリンを全て食べきった。
「……凛、あのさ、もう一個わがまま言っていいかな」
「なぁに? なんでも言って?」
「移るかもしれないけど……一緒に寝て欲しい……」
キングサイズのベッドはひとりで眠るには広すぎる。それに、凛の体温に包まれて眠りたい。
「あはっ、そんなこと? だめって言うわけないじゃん」
凛は満面の笑みでベッドに入ってきて、悠をぎゅうと腕の中に閉じ込める。
「おれ絶対風邪引かないし、ユウちゃんにだったら移されてもいーよ」
「風邪って結構辛いんだぞ?」
「じゃあ辛い人はでろでろに甘やかされてくださーい」
いくつものキスが降ってくる。凛の愛情に包まれていると、だんだんと眠気がやってきた。
「眠い?」
「うん……」
「寝ちゃえ寝ちゃえ。いっぱい寝て、早く元気になって?」
「うん…………」
瞼が重い。少しずつ意識が遠退いていく。
「…………♪ …………♪」
とん、とん、と背中を叩かれて、いつも悠が歌っている子守唄が聞こえてくる。
凛の中で寝かしつけと言ったらこれなのだと実感して、なんだか嬉しくなってしまった。
悠は不器用で大好きな想いにくるまれて、そっと目を閉じた。
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