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第二部 第十六話 おいしい草と誤解
「ふわあ……すげえ、こんなに山盛り……!」
悠はベランダで歓喜の声を上げている。そして、パチン、パチンと何かを切る音がする。今は夕方でも暑い時期だから、ベランダに長い間いるようなら回収しようと思った。
「凛、凛っ! 見てくれ、こんなにいっぱいハーブ採れた!」
悠は喜々とした顔でベランダから戻って、緑の草を見せてきた。
「ハーブ……あ、ちょっと前に植えてたやつ?」
家庭菜園がしたいからベランダを使わせてほしい、と言っていたが、てっきり野菜を育てているのだと思っていた。
「そう! これがローズマリーで、こっちがディル、それにカモミール!」
「ふーん」
正直、何がなんだかまったくわからないが、まあ悠が笑顔ならなんでもいい。
「ローズマリーはサイコロステーキに入れて、ディルは野菜スープに入れるな!」
「かもみーる? は?」
「食後のお茶! ハーブティーになるんだ、これ」
「へー、あ、確かにいー匂いする」
すん、と白い花の香りを嗅ぐと柔らかな匂いが鼻を通った。
「大葉も育ってたし……バジルもパセリもいい感じだし、ミントも……ふふふ……明日はミントティーができるぞ……!」
草を前に笑っている悠は可愛らしいが少し危ない絵面に見える。
「そんなに葉っぱができたの嬉しい?」
「だって料理の幅すっげー広がるから! 今日の夕メシはひと味違うから待っててな!」
「ユウちゃんのメシうまいのに、もっとうまくなるの? おれほっぺ落ちちゃうよ」
冗談抜きにそう言うと、悠は嬉しそうに顔を綻ばせた。その幸せそうな表情に、口づけを捧げる。
「ユウちゃんがいない時は、おれがハーブの面倒見てあげる」
「いいのか?」
「んーん、そしたらユウちゃんのメシまたうまくなるんでしょ?」
「ありがとう、凛っ!」
悠はがばりと凛に抱きつく。凛はどこまでも料理と凛が大好きな少年を抱き締め返して、その耳元でリップ音を鳴らした。
次の日。悠は登校日だ。凛は事務所でどうしたものかと思っている。世話をするとは言ったものの、植物を育てたことなどない。
「んー、なにしたらいーのかなー」
「カシラ、何かお困りですか?」
「お、袴田。あのさ、草の育て方ってわかる?」
「……は?」
「ユウちゃんが家で草育ててさ、手伝うって言ったんだけど世話の仕方わかんなくて」
袴田の顔がさーっと青ざめていく。そして凛に縋りついて。
「カシラ駄目っす! ヤクに手出すなんて!」
「はあ?」
「悠さんにもやらせちゃ駄目っすよ! 今すぐ家行って回収しましょう! 俺が葬ってきますから!」
「いや、ちょっと」
「カシラと悠さんがヤク中になるなんて嫌っすよ!」
「だーもう、うるさいっ!」
何かを勘違いしている袴田の脳天にチョップを叩き込む。
「ヤク中ってなに、お前何勘違いしてんの?」
「痛た……だって、草育ててるって……」
「ユウちゃんがハーブ育ててるって話なんだけど? なんだっけ、ローズマリーとか、カモミールとか」
そう言うと、袴田ははああああ、と大きな息を吐いた。
「びっくりさせないでくださいよ! 俺てっきり大麻育ててんのかと」
「ユウちゃんがそんなことするわけないでしょ」
げしげしと袴田を蹴ると、痛いっす! と悲鳴が上がった。
「ハーブなら酒井の兄貴が詳しいっすよ。ハーブティー自分で調合するの好きとか言ってましたから」
「そなの? ねえ酒井、ハーブの育て方教えてー」
酒井に声をかけると、ハーブの話っすか! と彼が飛んで来た。
「ハーブってすげー強いんすよ、だから基本は水さえやってりゃ放置で大丈夫っす」
「へー。水ってどれくらいやんの?」
「根腐れしない程度っすね。じょうろの大きさどれくらいっすか?」
「ん、こんくらいだったはず」
「ならじょうろに一回汲んだ分をあげるので充分っすよ」
「そーなんだ、サンキュー」
「とうとう凛さんもハーブに目覚めましたか……」
酒井はなぜか自慢げだ。それがムカついたので、袴田と同じく蹴りを入れてやった。
「おれじゃなくてユウちゃんな」
今日はミントティーを淹れると言っていた。いい香りの漂う彼とのひと時は、きっとなによりも愛おしくて。
赤鬼はふっと笑って、テーブルに置いてある飴をひとつ含んだ。
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