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第二部 第十八話 夏の大仕事
「悠さん、梅いらねえか?」
ある日ケータリングの仕事を終えると、龍一がそう話しかけてきた。
「梅、ですか?」
「ああ、家内の実家に梅の木があってな、毎年家内が梅酒漬けてくれんだが、今年はその梅が少し余ったんだ。どうだい」
「是非! 欲しいです!」
「よかった、なら後で若いもんに凜の家まで運ばせるから受け取ってくれや」
「はい! ありがとうございます!」
梅酒は酒を買えないから作れないが、ジャムかなにかなら作れるはずだ。悠は満面の笑みで、今度の土曜を梅仕事で埋めることを決めた。
そして、土曜日。
凜の家に、一キロ分の梅と、氷砂糖が届いた。若衆曰く、氷砂糖は龍一の妻からの差し入れらしい。
「よし、じゃあやるか!」
「ユウちゃん、なに作んの?」
「梅シロップ。梅干しは天日干しがあるから面倒だと思って」
「ふーん。ね、おれやることある?」
「じゃあ、俺が梅洗うから、この布で綺麗に拭いてくれるか? 水気がないように、しっかり」
「ん、いーよ」
桶に水を張って梅を洗い、凜にひとつずつ手渡していく。彼はどんどんと梅を拭いていってくれた。
梅を全て綺麗にし終わると、悠は竹串を使ってヘタを丁寧に取り除いていく。凜はその様子をじいっと見つめていた。
「凜、また手伝ってくれるか?」
「うん! なにすればいーの?」
「俺が梅この中に入れていくから、氷砂糖敷き詰めてくれ。で、それ交互にやってくんだ」
「あはっ、面白そう。やろやろ!」
悠が梅を入れていくと、凜が氷砂糖を入れてくれる。ふたりで初めての梅仕事は、終わってしまうのが惜しいくらいに楽しかった。
「梅ってこーやって見るとキレーだね」
「時間経つと色変わっちゃうから、今だけだな」
「ふーん、そーなんだ」
最後に凜が氷砂糖で蓋をする。一キロの梅は、ふたつの瓶をいっぱいにした。
「で、シロップいつできんの? 夜にはできるよね?」
「いや、三週間くらいかかるぞ」
「……は!? 三週間!?」
その日一番の凜の大声が響く。彼は梅シロップがすぐにできるものだと思っていたらしい。
「嘘ぉ……もう今日の夜飲む口だったのに……」
凜はううう、と言いながらソファに沈む。かなり落ち込んでいて、なんだか可哀想になってしまった。
「ごめん……最初に言っておけばよかったな」
「ほんとに飲めないの? ちょびっともだめ?」
「梅って生のままだと毒あるから……」
彼はこれ以上ないくらい肩を落とした。そんなに楽しみにしてくれていたのに、何も食べさせてあげられないのは心苦しかった。
「梅……梅……」
「凜……」
ふと悠は、若衆が運んできた荷物の中に白いビニール袋があるのに気づいた。中を見て見ると、フリーザーバッグに入った、生ではない梅があった。
「これは……?」
ビニール袋の中にはメモが入っていた。
『去年の梅酒から取った梅で作った甘露煮です。おふたりでどうぞ 龍一の妻より』
「凜! これ、これっ!」
「……んー? なぁに?」
「組長さんの奥さんが、甘露煮くれた! これならすぐ食える!」
「マジで!?」
がばっと凜が起き上がる。さっそく甘露煮を皿に開けて、ひとつを箸に取って凜に食べさせた。
「んー! 甘いっ! うまっ!」
悠もひとつを口に含む。とろりとした身と鼻に抜ける馥郁。しっかりとした甘さが舌の上で踊った。
「うまっ!」
「だよね、うまいよね! 詩織さんこんなん作れんだあ……」
「組長さんの奥さん、詩織さんって言うんだ」
「うん、すっごい大人しそうな顔してるけど、あの親父が頭上がんないの。すげー姐さんだよ」
「すごいな、いつか甘露煮の作り方教わりたいな……」
「今度聞いてみよっか?」
「頼む!」
「じゃあはい、あーんっ」
凜が甘露煮をひとつ口元に持ってくる。悠は梅の甘さに酔いながら、もぐもぐとそれを咀嚼する。
「あはっ、ウサギさんみたい、かわいー」
彼は悠の身体を包み込む。優しく頭を撫でられると、それだけで幸福が胸を満たす。
「……なあ、凜」
「んー?」
「いつか、さ。俺の作った梅酒飲んでくれるか?」
悠が成人するまでまだ時間がかかる。それに梅酒は梅シロップ以上に熟成に時間がかかる。だから、これはちょっとした夢想だ。いつか、大人になった悠と凜が、自家製の梅酒で乾杯なんてできたらどんなに幸せだろう。
「それ世界一うまい酒じゃん。ぜーったい飲む!」
早く飲ませてよお、と凜が顔を押しつけてくる。凜が未来に当たり前に悠がいると思ってくれることが、とても嬉しい。たとえ叶わなくたって、今この瞬間、そう思ってくれるだけで充分だ。
「頑張って早く大人にならないとな」
「梅酒、他のやつらに飲ませちゃだめだからね! おれ専用!」
「わかった、わかったって」
大型犬のように懐いてくる凜を抱き締め返して、悠はその体温に溺れた。
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