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第二部 第二十一話 失敗と白ウサギ

 凛が拗ねてしまった。さっきから頬を膨らませて、ソファに体育座りをしている。悠はどうしたものかと頭を悩ませた。  事の発端は数時間前、事務所で凛が過度に甘えてきたからだった。  いつものように凛の好物を作り振る舞い、凛がそれに喜んで抱きついてきて──そこまではいつも通りだった。だが、凛はあろうことか、組員が大勢いる中でキスをしてきたのだ。九十九が毎日『いちゃつくなら他所で』と口酸っぱく言っているにもかかわらず、である。  だから悠は思わず、大きな声で『駄目だろ!』と言ってしまったのである。照れ隠しが入っていたことも否めない。すると凛は叱られた子どものように拗ねてしまって、それ以来口を利いてくれない。 「…………」 「………………」  喧嘩、とまではいかないが、この空気は居心地が悪い。だが謝っては凛の暴走を許すことになってしまう。 「……凛、あのさ」 「……なぁに?」 「大きい声出したのはごめん……」 「……ん」  凛のむくれ面は治らない。 「……怒ってる、か?」 「別にー。ただユウちゃんはおれにちゅーされたくないんだなあ、悲しいなあって」  どうやら彼は大声で叱られたことよりも、悠がキスを拒んだことが不満らしかった。 「されたくないっていうか、その、場所が……」 「…………」  どう説明をしたらいいのだろう。決して凛からのキスが嫌なわけではない。 「凛、嫌だったわけじゃないんだ。でも事務所でいちゃいちゃするなって言われてるから、駄目だって思ったんだ」 「…………ん」  悠は凛の隣に座って、凛の手を包んだ。 「凛のことはすごく大事だし、その、キスも……!」  きゅっ、と手に力を込めて。自分の気持ちを伝えようとした。 「しゅきっ、だから……!」  噛んだ。盛大に噛んだ。一番大事なところで。  凛がこちらを振り返って、悠を見つめる。 「ちが、噛んだ! 好きって言いたかったんだ!」 「……ぷっ、あははははははははっ!」  凛の笑い声が部屋に響く。さっきまでのむくれ面はどこかに行ってしまったようだった。 「やばい、かわいすぎる! しゅきって、ほんとユウちゃんサイコー!」  凛は機嫌を直して、顔を赤くする悠にそっと触れる。 「そうだよね? ユウちゃんはおれのこともちゅーも、だーいしゅきだもんね?」 「っ…………!」  失敗をからかわれてどうしようもなく恥ずかしくなる。悠は凛に背を向けて、白いパーカーを深く被って丸まった。 「ううっ……!」 「あは、ちょーかわいー。プルプル震えて、マジでウサギさんじゃん」 「もう嫌だ……!」  羞恥にまみれていると、凛が覆い被さってくる。 「かわいーウサギさーん? 閉じこもってないで出といでよー。顔見せて?」 「っ……」  ふるふる、と首を振る。恥ずかしくて彼の顔なんて見れたものじゃない。 「丸まってたら、ウサギさんがだいしゅきなキスもできないよ?」 「からかうの止めてくれ……! 噛んだだけなんだって……!」 「うんうん。噛んじゃうユウちゃんも死ぬほどかわいーから、キスさせてよ。ね? 事務所でしない分、今させて?」 「…………」  おずおずと振り向くと、そこには上機嫌な赤髪の男。 「かーわいっ」  あっという間に押し倒されて、唇を奪われる。彼と粘膜が触れ合うだけで、どうしてこんなに多幸感に満たされるのだろう。 「ん、んっ……」 「あはっ、ほんとにちゅー、しゅきなんだねえ」 「凛っ!」 「うん、おれもユウちゃん、だーいしゅきだよ?」  凛は面白いおもちゃを手に入れた顔で、にんまりと笑う。 「だから違うんだっ!」  悠は顔を真っ赤にして、凛の腕の中に閉じ込められることしかできなかった。  

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