56 / 58
第二章 第二十六話 強い友達
「だからさあ、テリーヌ作る時はもっと慎重に作業しなくちゃ駄目なんだって」
「……うん」
「先生に睨まれてビビんのはわかるけど、それで焦って雑になったら味が落ちるだろ?」
「そうだね……」
友人──克也のアドバイスを受けながら、悠は下手くそに笑った。
克也はフレンチコースで一番成績のいい生徒だ。料理と自身に絶対的な自信を持っていて、悠とは何もかもが正反対だった。初めての授業でペアを作れずにいた悠に声をかけてくれて、それから仲良くなったのだが──。
「悠はさ、焦りすぎなんだよ。あと雑。フレンチは繊細な味が命なんだからそこ大事にしなくちゃ」
「うん……」
克也の指摘はいつも正確だった。彼の言うことは講師と同じで、本当に悠に足りないものなのだとわかる。わかって、いるけれど。
「親父さんにフレンチ食わしてやりたいんだろ?」
「……っ」
そう、悠がフレンチコースに入った理由は、父にあった。
いつか父が、『本格的な高級フレンチを食べたことがない』と言っていたから、自分でそれを作って、父を店に招待できれば──。
けれど、父はもう。
「そうだ、今度俺の家で次の課題練習しようぜ。お前の父さんには俺から説明するから、泊まりでさ」
「あー……えっ、と…………」
今は父と住んでいない事情を、どう話したらいいものか。
「何だよ、お前の父さん厳しい系か?」
「いや、そうじゃなくて……父さん、もういないっていうか……」
「いない?」
「蒸発……しちゃったんだよね」
正確には蒸発した後に悠を殺そうとして行方不明になったのだが──そこまで言うとややこしくなるので割愛した。
「は!? 蒸発!? なんで!?」
「借金作ったみたいでさ」
「えっ、じゃあお前、今どうやって生活してんだよ!?」
「居候させてもらってる。メシ作るのが家賃代わりってことで」
最初は『飼われて』いたのだが、それも割愛した。悠と凛の関係はなかなかに複雑だ。
「親戚の家とかか……?」
「あー、ちょっと違うんだけど、とにかくいい人で……」
「ユーウーちゃんっ!」
突然の後ろからの衝撃。聞き慣れた声に、朝も包まれていた体温。
「わ、凛!?」
「学校終わりでしょ? おつかれっ」
「……悠、そいつは?」
「え、えっと、今一緒に住んでる人」
そう言うと、克也はぎろりと凛を睨んだ。
「……初めまして。悠のダチの白本克也です」
「はじめましてー。ユウちゃんの彼氏の凛でーす」
「ちょ、凛っ!?」
いきなり彼氏なんて言ったら、克也がビックリするに決まっている。
「……彼氏?」
「ありゃ、内緒にしてた? ごめんね」
凛はどこか世間とズレているから、カミングアウトなんて考えがそもそもないのだろう。
「……元々付き合ってて、困ってた悠を住まわせてるんですか?」
「いんや? ユウちゃん拾ってからお付き合い始めたけど?」
「拾うって……悠を物みたいな言い方するんですね」
克也は喧嘩腰だった。ずっと凛を睨んで、今にも掴みかかりそうだ。
「あは、そんな睨まないでよ。チワワに睨まれても怖くないけど」
「チワっ……!? あんた、悠が居候だからって、住まわせてやるから付き合えとか脅迫してんじゃないだろうな!?」
「ちょ、克也!?」
「んー? そんなこと気にするんだ、友達思いだねえ」
激昂する克也と対照的に、凛はどこまでも余裕だ。悠の頬にひとつ口づけを落として、見せつけるように抱き締めた。
「チワワくんが思ってるようなことなーんもないよ? だって告白してきたの、ユウちゃんの方だもん」
「は……?」
「ね、ユウちゃん? おれのこと好きって言ってくれたもんね?」
「っ……、言った、けどっ……! それ克也に言わなくてもいいだろ!?」
「だってチワワくん、おれがユウちゃん脅したと思ってるんでしょ? おれたちはそーしそーあいだって教えてあげなきゃ」
凛は照れてるユウちゃんもかわいーねえ、なんて言いながら頭を撫でる。
「悠……本当なのか? 脅されてないのか? 住むところないなら、俺の家だってあるから」
克也は本気で心配してくれているのだろう。けれど、悠は悠の意思で凛の傍にいるのだ。
「大丈夫……。その、凛のことが好きで、一緒にいるから……」
悠が呟くと、凛はぎゅうう、と腕の力を強めた。
「おれもユウちゃん大好きっ! あいしてるよっ」
「凛、外で抱きつかれんの恥ずかしいから……!」
「…………俺、帰るわ」
克也は凛を睨みながらため息を吐く。どうしてかはわからないが、彼は凛を敵認定したらしかった。
「悠、なんかあったらウチ来いよ。狭いけど寝床くらいはあるから」
「う、うん……ありがと、じゃあな」
ニマニマと笑っている凛を、克也は厳しい目線で睨み付ける。そして大股で去っていってしまった。
「嫌われちゃったねえ」
「……なんでだろ、凛が苦手なタイプだったのかな……」
「んー、あれは苦手ってゆーより……」
凛は笑いながら、悠の頬をぷにっと刺した。
「嫉妬じゃない?」
「……嫉妬?」
「そ、ユウちゃんぽっと出の男に取られて悔しーんでしょ」
「っ、克也はそういうんじゃないから! ただの友達!」
「ユウちゃんがそう思ってても、相手はどうかなあ? ……ところでさ」
凛の目が、すっと細められる。その瞳を見ただけで、ぞくりと背中に寒気が走った。
「ユウちゃんのメシつまんないって言ったの、あのチワワでいいの?」
「っ…………」
確かに克也はつまらないと言った。けれどそれは、悠を思ってのアドバイスだ。答えられないでいると、凛はまたいつもの笑顔に戻った。
「料理人の卵だから、腕は勘弁してあげよっか。歯三本くらいでいい?」
「っ、なにもしなくていいから! 克也も悪気があったわけじゃないし! 俺が……勝手に傷ついただけだから……」
「もーユウちゃん優しすぎ。おれ心配になっちゃうよ」
凛は何度も悠の頬で遊ぶ。悠に優しいのは嬉しいが、友達にまで暴力が及ぶのは流石に嫌だ。
「ほ、ほら! スーパー行こ! 今日は凛の食いたいもん、なんでも作るから! 何がいい!?」
「んー? んー……トマトのなんか?」
「わかった、トマトだな、じゃあ行こう!」
凛の気を逸らして歩き出す。少し──いやかなり心配性なヒーローは、守護者のように悠の隣を離れなかった。
ともだちにシェアしよう!

