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第二章 第二十六話 強い友達

「だからさあ、テリーヌ作る時はもっと慎重に作業しなくちゃ駄目なんだって」 「……うん」 「先生に睨まれてビビんのはわかるけど、それで焦って雑になったら味が落ちるだろ?」 「そうだね……」  友人──克也のアドバイスを受けながら、悠は下手くそに笑った。  克也はフレンチコースで一番成績のいい生徒だ。料理と自身に絶対的な自信を持っていて、悠とは何もかもが正反対だった。初めての授業でペアを作れずにいた悠に声をかけてくれて、それから仲良くなったのだが──。 「悠はさ、焦りすぎなんだよ。あと雑。フレンチは繊細な味が命なんだからそこ大事にしなくちゃ」 「うん……」  克也の指摘はいつも正確だった。彼の言うことは講師と同じで、本当に悠に足りないものなのだとわかる。わかって、いるけれど。 「親父さんにフレンチ食わしてやりたいんだろ?」 「……っ」  そう、悠がフレンチコースに入った理由は、父にあった。  いつか父が、『本格的な高級フレンチを食べたことがない』と言っていたから、自分でそれを作って、父を店に招待できれば──。  けれど、父はもう。 「そうだ、今度俺の家で次の課題練習しようぜ。お前の父さんには俺から説明するから、泊まりでさ」 「あー……えっ、と…………」  今は父と住んでいない事情を、どう話したらいいものか。 「何だよ、お前の父さん厳しい系か?」 「いや、そうじゃなくて……父さん、もういないっていうか……」 「いない?」 「蒸発……しちゃったんだよね」  正確には蒸発した後に悠を殺そうとして行方不明になったのだが──そこまで言うとややこしくなるので割愛した。 「は!? 蒸発!? なんで!?」 「借金作ったみたいでさ」 「えっ、じゃあお前、今どうやって生活してんだよ!?」 「居候させてもらってる。メシ作るのが家賃代わりってことで」  最初は『飼われて』いたのだが、それも割愛した。悠と凛の関係はなかなかに複雑だ。 「親戚の家とかか……?」 「あー、ちょっと違うんだけど、とにかくいい人で……」 「ユーウーちゃんっ!」  突然の後ろからの衝撃。聞き慣れた声に、朝も包まれていた体温。 「わ、凛!?」 「学校終わりでしょ? おつかれっ」 「……悠、そいつは?」 「え、えっと、今一緒に住んでる人」  そう言うと、克也はぎろりと凛を睨んだ。 「……初めまして。悠のダチの白本克也です」 「はじめましてー。ユウちゃんの彼氏の凛でーす」 「ちょ、凛っ!?」  いきなり彼氏なんて言ったら、克也がビックリするに決まっている。 「……彼氏?」 「ありゃ、内緒にしてた? ごめんね」  凛はどこか世間とズレているから、カミングアウトなんて考えがそもそもないのだろう。 「……元々付き合ってて、困ってた悠を住まわせてるんですか?」 「いんや? ユウちゃん拾ってからお付き合い始めたけど?」 「拾うって……悠を物みたいな言い方するんですね」  克也は喧嘩腰だった。ずっと凛を睨んで、今にも掴みかかりそうだ。 「あは、そんな睨まないでよ。チワワに睨まれても怖くないけど」 「チワっ……!? あんた、悠が居候だからって、住まわせてやるから付き合えとか脅迫してんじゃないだろうな!?」 「ちょ、克也!?」 「んー? そんなこと気にするんだ、友達思いだねえ」  激昂する克也と対照的に、凛はどこまでも余裕だ。悠の頬にひとつ口づけを落として、見せつけるように抱き締めた。 「チワワくんが思ってるようなことなーんもないよ? だって告白してきたの、ユウちゃんの方だもん」 「は……?」 「ね、ユウちゃん? おれのこと好きって言ってくれたもんね?」 「っ……、言った、けどっ……! それ克也に言わなくてもいいだろ!?」 「だってチワワくん、おれがユウちゃん脅したと思ってるんでしょ? おれたちはそーしそーあいだって教えてあげなきゃ」  凛は照れてるユウちゃんもかわいーねえ、なんて言いながら頭を撫でる。 「悠……本当なのか? 脅されてないのか? 住むところないなら、俺の家だってあるから」  克也は本気で心配してくれているのだろう。けれど、悠は悠の意思で凛の傍にいるのだ。 「大丈夫……。その、凛のことが好きで、一緒にいるから……」  悠が呟くと、凛はぎゅうう、と腕の力を強めた。 「おれもユウちゃん大好きっ! あいしてるよっ」 「凛、外で抱きつかれんの恥ずかしいから……!」 「…………俺、帰るわ」  克也は凛を睨みながらため息を吐く。どうしてかはわからないが、彼は凛を敵認定したらしかった。 「悠、なんかあったらウチ来いよ。狭いけど寝床くらいはあるから」 「う、うん……ありがと、じゃあな」  ニマニマと笑っている凛を、克也は厳しい目線で睨み付ける。そして大股で去っていってしまった。 「嫌われちゃったねえ」 「……なんでだろ、凛が苦手なタイプだったのかな……」 「んー、あれは苦手ってゆーより……」  凛は笑いながら、悠の頬をぷにっと刺した。 「嫉妬じゃない?」 「……嫉妬?」 「そ、ユウちゃんぽっと出の男に取られて悔しーんでしょ」 「っ、克也はそういうんじゃないから! ただの友達!」 「ユウちゃんがそう思ってても、相手はどうかなあ? ……ところでさ」  凛の目が、すっと細められる。その瞳を見ただけで、ぞくりと背中に寒気が走った。 「ユウちゃんのメシつまんないって言ったの、あのチワワでいいの?」 「っ…………」  確かに克也はつまらないと言った。けれどそれは、悠を思ってのアドバイスだ。答えられないでいると、凛はまたいつもの笑顔に戻った。 「料理人の卵だから、腕は勘弁してあげよっか。歯三本くらいでいい?」 「っ、なにもしなくていいから! 克也も悪気があったわけじゃないし! 俺が……勝手に傷ついただけだから……」 「もーユウちゃん優しすぎ。おれ心配になっちゃうよ」  凛は何度も悠の頬で遊ぶ。悠に優しいのは嬉しいが、友達にまで暴力が及ぶのは流石に嫌だ。 「ほ、ほら! スーパー行こ! 今日は凛の食いたいもん、なんでも作るから! 何がいい!?」 「んー? んー……トマトのなんか?」 「わかった、トマトだな、じゃあ行こう!」  凛の気を逸らして歩き出す。少し──いやかなり心配性なヒーローは、守護者のように悠の隣を離れなかった。

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