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ゆーいち、と梓の声が耳に触れて、目が覚めた。
「……?」
瞬きを刻む視界の中に、じんわりと橙色の灯りが映り込む。……灯りなど、点けたままで寝ただろうか。
俺は就寝時は真っ暗派のはず……と寝ぼけた頭で思考するうちに、柔らかな色味の光は輪郭を結んで、ランタンの形になった。本物の炎ではなく、LEDが灯るライトだ。
その光の傍らには、きらきらと輝く大きな瞳がある。愛嬌のある、栗色の瞳。同じ色の前髪は、さらさらのストレート。それがランタンの光に透けてちかちかときらめくさまが、ひどく目映い。
それにしても、きらびやかな容貌の人物だった。これほどの間近でじっくりと眺めてしまっているのに、清涼に澄んだ雰囲気の印象が強すぎて、まだぎりぎり男か女かわからない。
祐市をまっすぐに見つめてくる明るい色の瞳が、ぱたぱた、と瞬きする。
「ゆーいち起きた?」
「一之宮……」
梓の声がする。だが、その姿はない。
「の、妹……?」
「えっオレが? 逆にそれ、メイドが妹じゃない?」
「じゃあ兄……」
むにゃむにゃと口の中で呟くうちに、どおん、と地響きに似た音がした。
「……!」
「あ、始まった」
眠気の帳を引き剥がされたようにして、一気に思考が緊迫する。
祐市は上体を起こし、ベッドの周囲を見回した。地響きの原因が何だったのかはわからない。けれど幸い、この部屋はその影響を受けていないようだ。
LEDのランタンに柔らかく切り取られる一室内の光景は、祐市が寝台へ潜り込んだ時となんら変わりない……。
いや。
戸口のところに、ユーリーの姿があった。
「ユーリーさん……?」
確かに、王宮内のこの部屋を祐市にと宛がってくれたのは、彼だ。
レオン第二王子との商談は思いのほか実のあるものとなり、「今後必要となるでしょうから」と互いの連絡先まで交換するに至った。
王族直通の番号を自分の携帯電話に登録する日が来ることなど、夢にも思わなかった事態だ。
それに加え、レオン第二王子『お気に入り』の梓は、おそらく久しぶりに会った同じ日本人の祐市に里心でも付いてしまったのだろう。商談後に再び現れた彼は、祐市を掴まえてあれこれと気に掛けてくれようとするので、そのようすを見守る王子の口からは遂に「いっしょに夕食はどうか」とのお言葉まで引き出されてしまった。――もちろん梓のための提案だとはいえ、王族直々のお誘いだ。
恐れ多すぎて、辞退など出来るわけもない。
そうして夕食のテーブルをいっしょに囲んでしまえば、次には当然のように、「王宮に泊まっていけばいい」との寛大な気遣いまで頂戴してしまったのだった。
話の途中で申し訳ないが、自分は別の用事がある、として多忙のレオン王子が立ち去ると、彼の意向を代わって叶える役目を負うのは、ユーリーだ。
祐市にとっては幸いなことに、王子本人よりは格段に断りやすい相手だった。見たところレオン王子の付き人か秘書といったようすのユーリーには、どこか会社員じみた雰囲気がある。
そこで「すでに宿泊予定のホテルに荷物を預けた後なので……」と角の立たない断り文句を告げてみたところ、「では荷物をこちらに運ばせましょう」となぜか一気に話が進んでしまい、驚くほど的確に人を動かしてあっという間にもろもろの手続きと用意を済ませたユーリーによって、祐市は晴れて今夜の宿となる王宮内の一室へと案内された、というわけだった。
おっかなびっくり通された部屋の内装があまりにも豪奢すぎることにびくびくしながら、湯を貰い、寝る支度を整え、どうにか部屋の電気を消した。それが、……スマートウォッチの表示によれば、およそ二時間前のこと。
現在時刻は、深夜二時半。
こんな時間に、なぜ地響きを思わせるほどの騒音が立つのか。……祐市は全身の緊張を解かないまま、ユーリーへと尋ねる。
「……何が起きたんです、か」
「うーんとたぶん、平たく言うと、クーデター」
「ク」
「そこまで大げさなものではありません」
ずば抜けた美人がのほほんと口を挟んで告げるその言葉に、祐市は息を飲む。が、ユーリーはいたって落ち着き払った声音だ。
「賊の向かう場所はわかっています。……そこへ行くように、レオン様が仕向けていますから」
「賊……」
と言うことは、王宮への侵入を試みた一団がいるのだろうか。先ほどの地響きは、では、宮殿内のどこかを爆破でもしたということか?
まるで映画だ。
けれどたぶん、これは現実だった。
祐市はリファディア宮殿の門前に立っていた兵の姿を思い出す。ライフルを手にした、屈強な男たち。
もし、いま、あの武器が使われているのだとしたら――おそらくその現場はこの部屋からは遠いのではないか、と思えた。銃声、靴音、怒号……夜をひどく騒がすだろう攻撃の音は、だが最初の地響き以降、何一つここには届いていない。
果たして、祐市の想像とほとんど同じことをユーリーが発する。
「お二人はこのまま、この部屋に留まっているのが得策でしょう。囮となったのはレオン様ですから、彼らはレオン様の『寝室』を目指しているはずです。そもそも建物の異なるこの部屋は、賊の眼中にはないと思われます」
「は、はい」
「……」
「下手に場所を移動しようとすれば、その道中で賊と出会す可能性もあります。……それでも、兵を呼びますか? 梓さま」
冷静な表情のまま、ユーリーは祐市の傍らへと問い掛けた。彼の目線が捉えるのは、寝台に半分乗り上げて座っている人物だ。栗色の髪の美人。柔らかく灯るランタンを手にした、横顔の……。
「一之宮!?」
「うわ、うるさ。寝起きでそんなに叫ぶと血圧上がっちゃうよ、ゆーいち」
「ごめん。えっ、いや、え、一之宮……?」
声はわかる。だが、容貌がまるで違う。
クラシカルなメイド服を纏っていた昼間の彼は、黒瞳のカラーコンタクトと黒髪のウィッグを着けていた、ということなのだろう。おまけにその顔立ちの可愛らしさをより引き立てるメイクを施し、布地の多いメイド服によって体のラインを覆われたことで、全体の印象にあどけなさがプラスされていたのだ。
頭では理解するが、気持ちが追い付かなかった。
ぴかぴかに飾り立てられた完璧な美少女と、性別の判別もつかないほどの飛び抜けた美人とでは、容貌の美しさは同じでもまるきり印象が異なる。
いまの梓は、まるで切り出されたダイヤモンドのように、無垢なきらめきが際立つ。
襟ぐりの広く開いたTシャツに、スウェットを身に纏っただけの姿。飾り気のないシンプルな服装だからこそ、彼の体躯の細さが目を奪うのだ。ランタンの灯りが浮かび上がらせるからか、つやつやと光る肌にも、腰回りでたゆむ衣服の皺にさえ、どこか古代の彫刻にも似た神聖さがあった。おいそれとは触れられない、危う過ぎる色気だ。こうして間近に見つめることですら禁忌に思える……。
ただどこまでも気安い口調と、色こそ違えど愛嬌のある瞳は、昼間に見た彼のまま変わらないのだった。
「逆にオレじゃなかったら誰なの。夜中に知らないやついたら怖いよ、ふつーに」
梓は祐市の見せる動揺を無邪気に笑い飛ばすと、その屈託ない笑みをしまわぬまま、ユーリーへと向き直った。
先に相手が発した、「兵を呼ぶか」との問いはつまり、梓に「ここから移動するか」と訊いたのだ。
梓はそれに対し、あっけらかんと答えてみせる。
「ゆーいちはここにいてもいいけど、オレは行くよ。――だって、レオンの切り札、オレだから」
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