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一之宮梓とレオン第二王子が出会ったのは、日本のメイドカフェだったらしい。
「レオン、留学生だったんだよ。……ええとなんだっけ、ナントカって言うアメリカの大学を飛び級で卒業する見込みで、でも卒業しちゃうとスーフィルに帰って王族の執務に就かなくちゃなんないから、だったらもうちょっとモラトリアムしよーって日本に留学しに来てたんだって」
数ヶ月ほど「日本の大学生」を満喫したレオン王子は、大学が夏期休暇に入るのに合わせて帰国する予定だった。その帰国予定日も一週間後にまで迫ったある日、若干の良くないノリを持つ友人に「日本の濃いカルチャーを浴びずに帰るのはもったいない」とメイドカフェへと連れられて来たのだそうだ。
「オレは普段はふつーにカフェ勤務のシェフなんだけどさ、勤め先のカフェが改装する時に、二週間くらい完全に店が閉まることになったの。有給そこに注ぎ込む手もあったけど、オーナーが手広くいろーんな飲食店やってるからどっかの店にヘルプで入るのもありだぞ、って話を聞いて、それいいじゃんって引き受けたら、紹介されたのがメイドカフェだったわけ」
厨房に入って料理が出来るなら、看板がなんだろうと気にしない。
梓は愛用の包丁とともにメイドカフェへ赴き、二週間ほど働くうちに、同じキッチンの仲間はもちろんメイドたちともすっかり仲良くなった。閉店後のお遊びで美少女メイクなどを施されていたところ、そのようすを眺めていた店長から「梓、フロアに立ってみない?」と誘われたのだ。
「『男装デー』っていう恒例のイベントがあって、その日はメイドの子たちが執事服を着るんだって。で逆に、店長とかが女装するの。メインはメイドの子たちだから、店長とかの女装はまあ笑われるためにやるんだけど、そこにガチのやつ紛れ込ませてみたいって、店長がめちゃめちゃ乗り気で」
「……一之宮、そういうの好きそうだよな……」
「うん。めっちゃ楽しくて天職かと思った」
「そ、そこまで?」
「いや、それはさすがに冗談だけど。またレオンがさ、なんかそんな変な日に来るんだよな。年一のイベント日の、しかも二週間しかその店に居なかったオレが、唯一厨房から出た日。……そんで、まんまと一目惚れをしてくれんの」
一目惚れ。
その単語は、初めて梓と対面した時の不可思議な感覚を、余さずきれいに説明してくれる気がした。祐市はそっと、自分の左胸に手を当てる。
わかる、と深く思った。
持ち得たステータスを『可愛い』に全振りした梓は、とんでもない威力を放つ。あれは惚れるだろう。もし梓がアイドルの類いだとしたら、自分は一瞬で名前を覚えて、テレビ番組の出演や雑誌への露出をこっそり熱心に追っただろうと思う。
それは祐市にとっては、限りなく恋に似ていて――けれど明確に違う気持ちだ。
「王族、マジで半端ないよ」
リラックスしたようすで寝台にぺったりと座り込んでいる梓が、眉と目を平たくする。それはたしか、昼間にも見た表情だった。
「おーぼーが過ぎるもん」
可愛い表情 をして、けっこうなことを言う。
「店ん中でいきなり告白された時はさ、オレもあーはいはいありがとうございますって感じだったの。実際、そう告 ってくんのレオンだけじゃなかったし。だからてきとーにいなして、お会計済ませて見送って。で、無事にその日の営業終わるじゃん? じゃあ明日もよろしく、オレは厨房に戻るけど、って皆に挨拶して店を出たら、黒いリムジンにあっさり拉致られたんだよな」
「――」
「降ろされたら高級ホテルのスイートルームで、そこで一週間掛けて口説き落とされたの。オレも別に根負けしたわけでもないけど、まあいっかスーフィル行くよって頷いたら、いつの間にか大事な物――カードとかパスポートとか、そういうもんがホテルに届いてて、ソッコーで飛行機乗せられててさ」
「……」
間違いなく、それらの手配を済ませたのはユーリーだろう。
祐市はちらりと戸口の方を見遣った。
薄暗がりの一室内、変わらずその位置に立つ彼は、さきほどから忙しなくあちこちに連絡を入れている。梓いわく「クーデター」が起きている王宮内で、幾人かの兵を呼ぼうというのだ。いかにユーリーの手腕を持ってしても、さっとワンコールでこなせるような要求ではないに違いない。
そんな状況を知ってか知らずか、梓はいかにレオンが傍若無人かを楽しげに話している。……昼間に「拉致監禁」と聞いた時は何事かと思ったものだが、顛末を語る梓自身が「スーフィル行きを了承した」と言ったくらいだ。
第三者がやきもきする必要など、おそらく万に一つもない。
そういえば、と祐市は声を挟む。
「一之宮はなんで、スーフィルに来ようと思ったんだ?」
「――え」
ぴたりとおしゃべりを止めた梓は、次にふわっと頬を朱に染めた。急に身の置き所を見失ったかのように、華奢な肩先を小さくすくめる。もごもごと答えた。
「え……っと、き……気持ち良かった、から?」
「? なにが?」
「最初に受け入れちゃってから、一週間……ずっとさあ……なんかめちゃめちゃ、気持ち良くて……これが愛されるってことかも、とか、思っちゃったんだよ」
「ああ、スイートルームで口説かれてたって話か」
遅れて合点がいって、祐市は頷く。とはいえ、庶民の自分には、王族による「相手を口説く時のもてなし」がどれほどのものかなど、到底想像しきれないのだ。
気持ち良い、と言うことは、スパリゾートの最上級版とかを想定すればいいのだろうか。
高級ホテルに温泉……があるかは知らないが、それでも間違いなくあらゆる意味で極上の湯に、滋養溢れる美味しい食事、マッサージやエステ。文字どおり上げ膳据え膳の日々だったのかもしれない。
スーフィルへ行けば、これ以上の贅沢が待っている……とでも口説き落とされたら、それは頷くはずだ。
「一之宮みたいな人のことを、傾国の美人って言うんだろうな」
「国を傾けられても困るけど……。ていうかオレ、この国に来たこと、後悔しててさ」
「えっ」
なんで、と祐市はつい前のめりになる。
昼間、王宮内のメイドカフェでレオン第二王子が見せていた、とろけるような甘い笑顔。彼の表情に満ち満ちていたのは、愛する人と出会えた喜びだ。自身の心が願うままに梓を愛し、そしてまた、同じ想いを梓からも返されている。
そんな幸福の中にあることを、彼の全身が語っていた。――なのに。
「だってレオンは、オレがここに、オレの意志で居るってこと、ぜんぜん信じてない」
リファディア宮殿の中にあって、決してリファディア宮殿ではありえない、あの『店』。
それはまるで、『あの日』の記憶を切り取ったかのような。
彼に請われるまま、出会った日とおんなじようにメイド服を纏う梓は――永遠の一日を健気に繰り返す、よく出来た機械人形(オートマタ)と変わらない。
「毎日みたいに抱き合ってても、どんなに愛してるって言われても、……レオンが信じてくれないなら、オレはもう、どこにも行けないんだよ」
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