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邂逅7
染井吉野が終わり、山桜も終わろうという頃、霞若は小さな声で言った。
「山をおりる日が決まりました」
いつもと同じように霞若と2人でいる時に、ぽつりと霞若が言ったのだ。それが聞こえて、吹いていた笛を吹くのをやめ、霞若に目をやる。
「3日後、都より父の使いが来ると、頼子が――女房が言っておりました」
「そうか……」
桜が終わったら。霞若は言っていたではないか。だから桜の花が開いたときに怖くなったのだ。霞若と別れなければいけない時が近づいていると。
「山をおりたくない! 博嗣さまのお側にいたい!」
「そのようなことを申すでない。夢で会えると、そう言ったであろう」
「ですが……」
「それなら、この笛をやろう」
そう言って母の形見である笛を差し出す。何があっても離さなかった母の形見の笛だ。この笛を吹くと母が近くにいるような、そんな気がした。けれど、霞若になら。この笛で霞若が自分を忘れないのならば、この笛は霞若にやろう。
「そんな。お母上の形見なのでしょう?」
「母上の形見ではあるが、私の形見にもなる。この笛の音だけは覚えていて欲しいから」
「博嗣さま……」
そうだ。風の音だけ。笛の音だけ覚えていて欲しいと思っていたけれど、結局は自分のことも覚えていて欲しいのだ。だから笛を渡す。それで自分のことを忘れないでいてくれるのであれば、大事な母の形見ではあるけれど、霞若になら渡せる。
「本当に良いのですか? この大切な笛を貰ってしまっても」
「ああ。どうせなら、もう一度笛の練習をしてみるか?」
「でも、笛を落としてしまいそうで」
「落としたってよい」
そう言って霞若の背中から霞若の手を握り、笛の穴を塞ぐ。
「優しく息を吐いてみろ」
そう言うと霞若は少し怖そうに、だけど確かに息を吐き、笛の音が鳴った。
「音が出たであろう」
「はい!」
「もう少し吹いてみるか?」
「はい。もう少しだけ……」
霞若の小さな手は、まだ頼りないけれど必死に笛を握っていた。吹く音も拙く、震えていたが、博嗣の指が重なる度に、まるで2人の想いが少しずつ重なっていくようだった。
「私、きっと忘れません。この音も、あなたのことも」
霞若の声は震えていた。それでも、唇を笛から離して博嗣の方をしっかりと向き、目を合わせて言ったのだ。
大人に成長していく子供だけれど、それでもはっきりとそう言ってくれるまっすぐな思いが、何よりも尊く感じた。
「霞若。都へ行けば、お前は忙しくなる。都には音も光も、人も多くて、きっと私のことなど……」
「忘れません!」
言葉を遮るように強い口調で霞若が言う。その事にびっくりする。
「都でも、博嗣さまに会いたくて、きっと探してしまいます。ただ、会いたいのです」
風がひとひらの桜の花びらを運んでくる。霞若は、その花びらを見ながら問うてくる。
「博嗣さま。もし夢の中で私があなたの名を呼んだら、返事をしていただけますか?」
「ああ。呼ばれたら、何度でも応えよう」
そう答えると、霞若の頬に一筋の涙が伝う。
「さあ寒くなってきた。そろそろ戻れ」
「……はい。では、もう一度だけ博嗣さまの音を聞かせてください」
その言葉に頷き、霞若の手元から笛を取り上げ、母が残してくれた音を霞若へ向けて吹いた。
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