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結婚2

 秋がすっかり深まった頃。右大臣家には人の出入りが絶えなかった。四条家の嫡男、真夏の結婚が間近に迫っていたのだ。  婚儀の相手は中納言の姫君、清音だ。夏の和歌会で1度顔を合わせたことはあるが、言葉を交わしたことはない。  婚儀の朝、真夏は濃紫の直衣を纏い、女房に髪を結い上げられながら、ふと手元に視線を落とす。袖の下には博嗣から貰った龍笛がひっそりと隠されていた。これだけが、霞若であった頃の自分と、山の記憶を繋ぐものだった。 「真夏さま。姫君の御車が門に」  声がかかり、緩やかに立ち上がる。静かな足取りで迎えの間へと進むと几帳の奥、僅かに揺れる絹の隙間から、白拍子のように凜とした気配がした。 「はじめまして。中納言、高階家の清音と申します。こうして、晴れの日を共にできますこと、光栄に存じます」  その声は透き通るように柔らかく、しかし芯の強さが感じられた。真夏は一礼し、口を開いた。 「真夏と申します。……未熟ではございますが、どうかこれからの年月、よろしくお願いいたします」  決まり文句のような挨拶ではあっても、声は自然と深くなる。言葉は整っていたが、胸の奥に重く沈む思いは隠しきれない。  やがて膳が運ばれ、細やかな式が進められる中、2人はようやく几帳越しに直接顔を向け合うことになった。 「和歌会でお見かけいたしました。真夏さまは、お優しい目をしておられました。でも、どこか落ち着かない様子でした」  不意に清音が、静かに言った。真夏は少し驚き、目を伏せた。 「お気づきでしたか。あの折は和歌をまともに読む余裕がなくて……」 「私も同じでした。ですが、あの一首、覚えております」 『春の風 花をはらはら散らしつつ 今も心を 山にとどむる』  真夏はそう詠んだ。それを覚えているのか。  清音は静かに微笑んだ。どこか寂しげなその微笑みに、真夏の胸が静かに痛んだ。 「真夏さまは、お心をどこか遠くに置いておられるのですね。ですが、その笛は真夏さまのお心がどこにあるかを知っている気がいたします」  その言葉に真夏は息をのんだ。袖の笛を清音が気づいていたのかどうかはわからない。ただ、彼女の声には咎めも詮索もなかった。ただただ理解だけがあった。 「清音殿……」 「かような形でのご縁ではございますが、どうかお心に触ることなく。それを踏まえての婚姻だと思っておりますので」  その言葉が真夏の胸に優しく染み入った。貴族のこのような婚姻ではあることだと言ってくれるのか。 「ありがとうございます。あなたのような方が、我が妻となってくださること、感謝いたします」  微かに触れた指先が、確かな温もりを伝えた。体はここにある。けれど、心の奥にはまだ、山の風が吹いていた。夢の中でしか逢えぬその人の名が、胸から離れることはない。  それでも、こうして隣にいる人を拒むことは真夏にはできなかった。そして、貴族のこのような婚姻であることを清音は理解してくれている。自分には出来た人だと思った。

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