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結婚6
夢の中でしか触れられぬ温もりが、腕の中で微かに震えていた。細く温かな体温。抱きしめた、その肩越しに、博嗣はそっと目を伏せる。
――また泣かせてしまったな
真夏は変わった。霞若だった頃よりも少し背が伸び、言葉の端々に大人の響きを宿すようになった。それでも腕にいるその心は、変わらずに脆く、まっすぐで、悲しみを隠すことができない。
「来世でもまた会ってください」
そう言って顔をあげた時の、真っ直ぐな眼差し。人間の子が放つにはあまりにも眩しくて、胸の奥が焼かれるように痛む。
博嗣はそっと額を寄せる。長く生きる身は、あまりにも多くの別れを抱える。心が耐えきれなくなる。だから何も求めぬように、何も望まぬように、そして人間と関わらぬように、そうして生きてきた。けれど、霞若――いや、真夏に出会ってしまった。
心が温もりを覚えてしまった。行きずりではなく、誰かと共に生きたいと初めて思ってしまった。
「真夏……。お前が人の世に縛られ、逃れられぬ宿命を負っても、私だけは逃げない。夢の中であろうと、どれほどの時が流れようと、必ずお前に会いに行く」
それが叶わぬ約束だったとしても構わない。来世に続く誓いであろうとも、例え、また悲しみに終わるにしても。
真夏の言葉に救われたのは自分の方だったのだと、博嗣はそっと目を閉じた。
この夢の刻が終わり、また孤独な山に戻るとしても、あの声が自分を呼んでくれる限り、何度でも夢の中で真夏を抱きしめよう。それだけが、自分に許された唯一の幸福なのだから。
いつかの未来。鬼と人間が共にいることが許される時代が来たのなら、その時は、迷いなく真夏と共にいたい。
「約束です、博嗣さま」
自分の腕の中で、細い声でいう真夏に、心が締め付けられる。この、自分よりも小さいこの体が、四条の嫡男としての責務を果たしている。そこに真夏の心はないとしても、求められた四条の若君として淡々とこなすこの腕の中の存在が、ただただ悲しすぎる。
そして思う。もし、自分が人間だとしても真夏とは共に生きることはできなかったと。
真夏と共に生きられるのは、今日、婚姻が成立した姫君なのだと思い知らされた。
同じ人間であっても共に生きられぬとは、どれほど悲しい時代なのだろう。それでも、|時代《とき》が流れれば、いつかは愛し合う者同士が共に生きることができるようになるだろうか。もし、そんな時代が来るのなら、その時まで何度でも真夏と出会おう。
自分が共に生きたいと望むのは真夏1人だ。だから、そんな時代が来るまで何度でも巡り会おう。そして、共に月日を重ねてゆこう。
「真夏……。この世に夢の世界があればこそ、こうやって一緒にいられるけれど、今、この時代、現でお前と共に生きられるのは、今日お前が婚姻を交わした姫君しかおらぬ」
博嗣が静かに口にする。それは、普段の博嗣の穏やかさのままに、しかし深い決意を帯びていた。
「共に、時の移ろいを見てゆこう。例え、現世では果たされずとも、魂のままに寄り添い続けたい。それを、願っても良いだろうか」
博嗣の言葉に真夏が顔をあげる。そして、博嗣の顔をまっすぐに見つめて言葉を返した。
「はい。博嗣さま」
今、この時は夢にありながらも、2人の心の間に流れるものは、どこまでも真実だった。
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