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別離1

 真夏が元服をして1年が経った。宮中に参り、妻ー清音ーの元へ通うという、自分の気持ちを殺すような日々の連続ではあるけれど、同じ歳で、同じように宮中に参っている式部卿宮家の嫡男、兼親と親しくなり、都で唯一心を許せる友となった。  風薫る初夏の午後。御簾越しに揺れる木漏れ日が、硯の水面にちらちらと映る。今日は兼親と和歌を詠み合っている。  真夏は、几帳の陰、文机に向かいながらも、筆を持った手を止めていた。対して、兼親は軽やかに筆を滑らせている。 「お題は『|杜若《かきつばた》』さぁ、真夏。負けぬよう詠むのだぞ」  兼親はふざけた口調で言う。   「勝ち負けではないでしょう、兼親」  そう言いながら、真夏の声は柔らかく緩んでいた。 「いやいや、和歌合わせとは、そもそも勝負のものだ。お前の、負けて悔しがる顔が見たい」 「悪い趣味ですね、兼親」  真夏は苦笑し、墨をすりなおす。兼親が詠んだ歌がまだ耳に残っている。 「|香《か》にぬれし 袖をおもへば 杜若 色をうつして なおぞ忘れぬ」  雅で、どこか大人びた恋歌に、真夏はふと胸の奥が疼くのを感じた。 「……では、拙いながらも」  筆をとり、静かに詠み下す。 「山ざくら 咲きし記憶の ひそけさに 杜若さえ 色をひそめぬ」  兼親が腕を組んで、「うむ、悪くない」と笑う。褒めるでもなく、けなすでもない、いつもの調子が心地よい。  そして、しばらくの沈黙。縁側の外では鶯が一声鳴いた。 「真夏。姫君とはどうだ?」  真剣なふいの問いに、真夏は目を伏せた。 「清音さまは優しい方です。何一つ責められるところなどない。ただ……」 「ただ?」 「ただ、心をどこかに置いたままであるというのが、申し訳ないと思うのです」  兼親は真夏の言葉に口を挟まず、そっと扇で膝の上の紙片を押さえた。  兼親に対しては、相手が鬼だということを伏せて、心通わせている相手がいると伝えている。だからこそ言える言葉だ。 「それでも、お前は選ぶんだろう。静かに生きるということを」 「……ええ」  風が通り、杜若の香が微かに香った。2人の間には、また沈黙が訪れる。けれど、しばらく経つと再び和歌を詠み交わす。そんな中、兼嗣がふと漏らした。 「最近、都でまた鬼の目撃が増えているらしいな」 「都で? しかし、目撃していながら、なぜ無事なんです?」 「ひたすら逃げたんだろう。命がかかっているからな。そんな鬼の目撃が増えているから、朝廷としても放ってはおけないのだろう。近々、大々的な鬼狩りをするらしい」 「大々的な鬼狩り……今やっているようなものではなく?」 「ああ、山を一掃するような大々的なものだ」  山を一掃するような大々的な鬼狩り……。  その言葉を聞いて、真夏は目の前が暗くなった。  それは多分、博嗣の父や母を亡くした時のような激しい人間と鬼の戦いになるのだろう。  博嗣がまことに鬼であれば、真夏は博嗣に刃を向けなくてはいけない。そんなことが起こるというのか。 「鬼とはいえ、全てが悪とは思えないが」 「それでも都で人が襲われているのは事実だ。そんな人を襲う鬼がいる以上、狩るのは仕方のないことだろう」  そんな……。  鬼狩りは日常的に行われてはいた。  しかし、そんなに激しいものではなかった。だから、どこか安心していた。博嗣は大丈夫だ、と。でも、山を一掃するような大々的な鬼狩りが行われては、博嗣の身も危ないということだ。  そして、何より人間と博嗣ら鬼とが対立することになることが悲しい。いや、そんなことを悲しむ前に博嗣に伝えなくてはいけない。逃げてくれ、と。鬼狩りが静かになるまで、どこかへ逃げていて欲しいと。  その後は、真夏はまともに和歌を詠めなくなった。

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