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別離3

 風が夏の気配を見せる朝。  空がまだ淡く、霞のかかる山道に、武将たち一行が列をなして進んでいた。思い思いの色の狩衣を身にまとい、射手たちは弓を背負い、随行の侍たちがその周囲を固めている。真夏はそんな一行から隠れるように山へと入った。そして真夏のあとを兼親がそっと見つからぬようにつけていた。    ――本当に、博嗣さまは山にいらっしゃるのか……  鬼狩りとはいえ、実際に鬼の姿を見た者は少ない。だが、この春以降、里に近い山間で不審な影があったと報告があった。そして陰陽寮も動いた。そしてついに、朝廷から正式な鬼狩りの命がくだったのだ。  そしてそれに伴い、陰陽寮は鬼の結界を破った。なんでも鬼は普段は結界を張っているという。結界が張られたままだと鬼を一掃できないとして、結界を破ったのだ。朝廷は本気で鬼を殺す気でいる。それが怖かった。  武将たちの顔は浮き立っていた。真剣なのだ。誰も鬼との共存など考えていない。自分たちのことしか考えていない。そして鬼を一掃しようとする人間こそが鬼ではないか。真夏はそう思った。  ――この山は、あの風が吹く場所。あの桜が咲いた場所。博嗣さまが私を呼んだ場所。私の心がある場所。  先頭をゆく弓の名手たちが鬨の声と共に山の奥へと進み、犬が吠え、鳥が飛びたつ。山の気配が騒ぎ始めた。  真夏は馬から降り、草の深い斜面を登りはじめる。風の匂いが変わる。懐かしい、あの山の匂いがした。 「博嗣さま……」  声にならぬ声が唇から漏れる。もし、本当にこの山のどこかにいるのなら。もし、鬼として討たれる運命にあるのならば……。  山の奥で、ひときわ高く犬が吠えた。その方向へ射手たちが駆け出す。真夏もその背を追った。草を踏みしめ、枝をかき分けながら風の中へ、思い出の場所へと足を踏み入れた。  草の葉が濡れている。露か、それとも朝靄か。裾が濡れるのも構わず、真夏はただ前を見据えていた。  懐かしい木立。苔むした岩。風に揺れる枝。全てがあの春の記憶と重なっていく。  ――ここだ。  立ち止まった場所は、かつて博嗣と出会い、語った場所だった。岩の上には誰の姿もない。だが、風が揺れ、木々がざわめく。 「博嗣さま……。ここに。ここにいらっしゃるのですか?」  返事はない。それでも、真夏は一歩、一歩と足を踏み出す。目を閉じれば、優しい博嗣の声が聞こえる気がした。  と、空気が震えた。  風が一瞬止み、空間の奥に違和の気配が満ちる。木の影から、ゆらりと何かが姿を現す。  銀にきらめく長い髪。凜とした横顔。確かにそこに、博嗣がいた。 「真夏……」  その声に真夏の胸は張り裂けそうになる。  会いたかった。現で会いたかった。何度そう言って博嗣を困らせただろう。だけど、ここでは会いたくなかった。ここで会うということは、博嗣が鬼だという証しだから。 「博嗣さま……」  後数歩の距離をあけて2人は互いの名を呼ぶ。現で、この声で名を呼んで欲しかった。けれど、こんな場所でではない。ここは人間と鬼が戦う場だから。こんな戦いの場に博嗣は似合わない。  博嗣の目には静かな諦めの色があった。だが、真夏の視線は揺るがない。 「お逃げください。今、狩りの手がこの山に入りました。陰陽師が結界を破りました。……本気で山を一掃するつもりです」 「知っているよ」 「知っているのなら!」  博嗣は淡く笑う。その目は、死を覚悟した者の穏やかさがあった。

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