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忘れられたもの1
兼親は、真夏が夢を見ることをずっと前から知っていた。
それは小学生のある昼休みのことだった。教室の隅でぼんやり窓の外を見ていた真夏が、ぽつりと漏らした言葉が今でも忘れられない。
「銀色の髪の人が出てくる夢を見るんだ」
唐突で不思議な響きを持ったその一言は、子供が話すにはどこか現実味がありすぎて冗談にも妄想にも聞こえなかった。
夢の中の誰かについて話す真夏の目は、まるでその人を心の中から知っているかのように深く、どこか遠くを見ていた。
その日を境に、真夏はときおり夢の話しをするようになった。声は聞こえなかったけれど、唇がうごいていたとか、何かを伝えようとしていた気がするとか。夢に出てくる人物はいつも銀色で、静かにこちらを見つめていたという。そんな断片的な話しを聞く度、兼親の胸の奥はざわめいた。
それが嫉妬だと気づくには、少し時間がかかった。
自分の知らない誰かが真夏の心のどこかを占めている。そのことが、ただひたすら悔しかった。
でも同時に、夢を語る真夏の表情が切なげで、でもどこか嬉しそうでもあるのを知っていたから何も言えなかった。
あの夢の中の誰かが、真夏にとって本当に大切な存在なのだということは、幼いながらにもはっきりとわかっていた。
そして今もなお、真夏はその夢を見続けている。大学生になった今でも、真夏は変わらずにときおり夢の話をする。中学や高校の頃よりは減ったけれど、それでもときおり、ふとしたときに「銀髪の人がね……」と言うことがある。
今回、中学の修学旅行以来の京都。京都の北――大江への元伊勢の旅行だ。
真夏が提案した行き先ではなく、むしろ兼親の提案だった。なのに宿やルートを調べている真夏の目が、どこか吸い寄せられるように画面を見つめていたのを兼親は見逃さなかった。
行く前から、何かを感じとっている。あの夢に繋がる何かを。その事が胸の奥に不安を呼び起こす。真夏が過去を思い出してしまったら、どこか遠くへ行ってしまうのではないか。自分の知らない何かに向かって、もう戻ってこないのではないか。そんな予感が兼親をじわじわと追い詰める。
(それでも……)
その気持ちを振り払うように、兼親は夜の自室で目を閉じた。
真夏がどれほど過去に心を寄せていようと、自分は”今”の彼の隣にいる。あの夢の誰かに勝てるとは思っていない。でも、現実の中で隣にいるのは自分だ。
もし、真夏の記憶の中に銀髪の誰かがいたとしても、それでも……。
ふと、思考の中で小さな違和感が芽生えた。
(もしかして、俺もあの夢の中にいたんじゃないか?)
元伊勢を訊ねると決めたとき、どこかで聞いたような地名に妙な既視感があった。けれど、それは記憶ではなく、雲のように曖昧なもので、意識すればするほど霧の中に消えて行く。けれど、確かに何かを知っている気がするのだ。
真夏の夢の話しを聞く度に胸がざわつくのは、ただの嫉妬だけじゃない。もしかしたら、自分自身もまた、夢の奥にいるのかもしれない。そうだとしたら自分にも確かめるべきことがある。
真夏が記憶の扉を開く旅に出るのなら、自分もまたその隣を歩きたい。彼の隣で、彼の今と未来を見守っていたい。それが、どれほど一方的な願いだとしても。
自分のことを覚えていてくれる。ただ振り返ってくれる。今はそれだけで十分だった。
(だから、もう少しだけ隣にいさせてくれ)
そう心の中で願いながら、兼親はスマホの画面に映る真夏との旅程をそっと見つめた。
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