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忘れられたもの6
帰りの電車の中。窓の外、流れて行く緑の山並みを眺めながら、兼親はぼんやりと頬杖をついていた。ガタンゴトンという単調な振動と、座席の柔らかい感触が眠気を誘う。けれど、胸の奥がすこしざわついていて眠れない。
隣に座る真夏は、タブレットに何かを打ち込んでいる。乗り換えの駅で買った資料本も膝に置かれていた。「風の鬼」「鬼の笛」と言った言葉が表紙に踊っている。
(本気で調べるつもりなんだな。)
そう思うと、寂しさが胸を撫でた。
「……鬼について調べるって?」
思わず声に出してしまっていた。真夏は画面から目を離さずに小さく頷いた。
「うん。もっとちゃんと知りたい。夢のことも、笛の音も。全部、ただの幻想だっていう気がしないから」
博物館で笛を見つめていた時の真夏の目を思い出す。あの目は誰かを想っていた。きっと深く、強く。自分が知らない真夏がそこにいた。
「俺にもできることがあれば言えよ」
そう言った時、真夏は初めて顔をあげて、ほんの少しだけ笑った。その笑顔はどこか遠くにあるように見えて、兼親の心のどこかを静かに締め付けた。
本当に自分は手伝えるんだろうか。
過去にいる誰かを探しているのだとしたら。例えその手助けができたとしても……。
(それで真夏の心がその人に向いてしまったら?)
考えたくないことが頭をよぎる。
「思い出せば会えるって夢の中で言われたんだろ?」
小さく投げかけると、真夏は頷いた。確信がある、という表情だった。羨ましくなるぐらいに真っ直ぐな目。自分はそんな目で誰かを見た経験があっただろうか。
「そっか」
それ以上言葉は出てこなかった。無理に笑って見せたけれど、真夏にはどう映っただろう。気づいていないふりをしてくれているのか、それとも本当に気づいていないか。
窓の外の風景が、少しずつ都会の色に変わっていく。あの山の中で感じた笛の音、祠の静けさ。それらが、もう随分遠いことのように感じられた。
この旅は、真夏のためのものだった。そう思っていた。けれど、どこかで自分も――いや、今もなお、自分自身も何かに引かれている気がした。
(真夏があそこに惹かれたのは記憶のせいかもしれない。じゃあ俺は?)
夢の中で感じた何か。消えてしまったはずの名残。答えは出ないまま、まだ心の奥で鈍く疼いていた。
真夏が再び画面に視線を戻した時、その横顔をふと見つめた。いつもの真夏なのに、どこか知らない誰かにも見えた。
(でも……)
それでも自分はここにいる。過去に誰かがいたとしても、今、真夏の隣にいるのは自分だ。
「東京戻ったら、図書館とかも回ってみる? 俺も一緒に行くよ」
ぽつりと呟くと、真夏は目を丸くした後、少しだけ照れたように笑った。
「うん、お願いするかも」
その笑顔に少し救われた気がした。まだ間に合うかもしれない。過去と向き合う旅の途中でも、今の自分たちの時間は確かにここにある。そう信じたかった。
電車はまもなく東京に着く。人の声が車内に戻ってくると、現実の時間がまた動きだしたような気がした。
(どれだけ記憶を取り戻しても、俺は真夏を見ている。)
そう心の中で再確認する。それが報われることなのかどうかはまだわからない。けれど、例えこの想いが名前を持たないまま終わったとしても、それでいいと思えた。だって、この旅の間中、真夏はずっと自分の隣にいたのだから。
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