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忘れられたもの7

 大江から帰ってきて数日が経った。猛暑の東京で、朝から電車に揺られて国会図書館に通う日々を送るとは思わなかった。だけど、真夏は帰って来た翌日から通っていたという。  そして今、兼親は真夏の隣で分厚い郷土史のページを捲っている。 「このあたり、鬼伝説が集中してるな」  地図を指さしながら真夏が呟いた。  大江山、和良町。  大江山は先日兼親たちも行ったばかりだ。だが、和良町というのは知らない。スマホで調べてみると岐阜県で鬼退治伝説があるという。  そして資料を読み込んでいくと、鬼と言う言葉は単なる妖怪や民話ではなく、時に異人種や流浪民を指す概念として記されていることもある。  それを読みながら兼親は、なんとも言えない胸のざわめきを感じていた。 「……これ、見たことあるかもしれない」  無意識に口から漏れた言葉に真夏が顔をあげる。兼親の指先には、古い絵巻の複写画像があった。夜の山中、笛を吹く男と、それに寄り添うように立つ青年。月明かりの中で2人が交わす視線はどこか切ない。 「ほんと? 夢とか?」 「夢……かも? いや、わからない。でも、なんか知ってる気がするんだ」  絵の中の風景に、胸の奥が軋んだ。杉林の匂い。夜風の冷たさ。笛の音。  どれも現実では体験したことのないはずなのに、やけにリアルに感じる。 「もしかして、兼親も……?」  真夏がそう言いかけた時、近くの席から咳払いが聞こえ、2人は慌てて声を潜めた。周囲には静かに資料と向き合う者たちが並び、時折、ページを捲る音だけが響いていた。  兼親はそっとノートの端にメモを走らせた。 (月明かり。杉林。笛。白い衣の人影。)  断片的に浮かぶ映像。それらはただの映像とは思えなかった。むしろ、ずっと以前から自分の中にあったものが、呼び起こされてきているような感覚だった。 (俺は、あの風景を知ってる。)  ページを閉じ、ぼんやりと天井を仰ぐ。あの旅以来、何度か夢を見た。それは記憶の再現というより、何かが扉の向こうでこちらを見ているひょうな感覚だった。  はっきりとは見えない。ただ、懐かしい眼差しだけが暗闇の中から自分を見つめている。そして、目が覚める度、心のどこかが締め付けられた。 (俺にも過去があったのかもしれない。真夏と同じように。) 「兼親。大丈夫?」  真夏が心配そうに兼親の顔を覗き込む。兼親はそれに、うんと短く答えた。本当は少しだけ怖かった。真夏が記憶を取り戻すことが。それに伴って、自分が置いていかれるかもしれないという焦り。  でも、それと同時に、自分の中にも確かに何かが眠っていると知ってしまった。 「真夏。俺、もう少しちゃんと調べてみるわ。自分のことも」  その言葉に真夏は一瞬驚いたように目を見開き、それから静かに頷いた。 「うん。一緒に探そう」  その言葉が思いのほか嬉しかった。  過去がどうであれ、自分たちは今ここにいる。そのことだけは確かだった。  閉館時間のアナウンスが流れる中、2人はまだ手元の資料に目を通していた。今日はそろそろ終わりだ。そう思った時、兼親の目に飛び込んできたのは、こんな言葉だった。  ――人と鬼とのあわいに生まれた縁は、時を越えてなお、再び巡り会うことがある。  胸の奥で何かが震えた。それが何を意味するのかわからない。けれど今、確かに、自分もまた「思い出そうとしている」ことだけははっきりとわかっていた。

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