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前世の夢
鬼――その言葉に昔からなぜか胸がざわつく。
物心ついた頃からそうだった。絵本の中の鬼、昔話の鬼、能の鬼。どれを見ても「怖い」と感じるよりも先に、懐かしさと胸がぎゅっとなるような感情が湧いてきた。
意味なんてわからなかった。ただ、どこかで会ったような気がしていた。中でも「銀髪の鬼」という存在は特別だった。はっきりと覚えているわけじゃない。でも、夢の中に度々現れていた。言葉は交わさなくても、その人が誰かを待っていること。自分を見つめていたことだけは何故か確かだった。
小学生の頃、ふとした拍子にそんな夢の話しを口にしたことがある。その時隣にいた兼親が「変な夢だな」と笑った顔は、少し引きつっていたような気がする。あれは気のせいだったのか。それとも――。
大学生になった今も、その夢を見る。年齢を重ねるにつれて、だんだんリアルになってきている。
風の匂いや光の加減、遠くから聞こえる笛の音。それらが現実の感覚と区別出来ないほどに鮮やかだ。
そしてこの夏に訪れた大江で、確信に変わる出来事があった。
鬼伝説の地として知られる大江山。元伊勢三社を巡った後、最後に立ち寄った日本の鬼の交流博物館。展示はふざけたものはなく、真面目で、歴史や伝承、文化的視点から鬼を捉えていた。けれど、自分にとってはそれ以上の意味を持っていた。
展示室の奥。ひときわ地味なガラスケースの中にあった古い笛。その形を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
何度も夢で見た、あの銀髪の人が、薄闇の中で笛を吹いていた。風が揺れて、草がそよいで、遠くで鳥が鳴くような時間。音はいつもひゅーひゅーと風に溶けて消えていく。寂しくて、美しくて、何故か泣きたくなった。
展示品の説明書きを読む余裕もなく、ただじっと笛を見つめていた。隣にいた兼親が心配そうに声をかけてくれたけど、大丈夫としか言えなかった。
説明なんてできなかった。ただ胸の奥にしまい込んでいた何かが、静かにほどけていくのを感じていた。
(やっぱり、あれはただの夢じゃない。自分の中の、もっと深い場所と繋がっている。)
帰りの電車の中でずっと考えていた。今まで目を逸らしていたけれど、本当はずっと知りたかった。自分が何故鬼に惹かれるのか、何故あの夢を見るのか。ただの偶然や想像で済ませるには、あまりに感情が伴っている。
夏休みはまだまだある。大学の図書館には民俗学の資料もあるし、国立国会図書館に行けば国内外の資料・情報を広く収集することが出来る。もし夏休みがあけてしまったら、教授に相談すれば地域伝承についての手がかりを得ることもできるだろう。
”鬼とはなにか”なんて、大きなテーマに見えるけど、自分にとってはとても個人的な問題だ。
あの人にもう一度会いたい。夢の中じゃなく、もっとちゃんとその人の名前を呼びたい。
自分でも笑ってしまいそうになる。「前世」や「因縁」なんて非科学的なものを信じるなんて、少し前ならあり得なかった。
けれど、あの笛を見た時、理屈なんてどうでもよくなった。あの音を覚えている。この胸の痛みは、確かにどこかで誰かを想った証拠だ。
机の上にノートを広げる。
”鬼の伝承”、”大江山”、”前世”、”笛”――思いつくままにキーワードを書き出していく。少しずつでもいい、形にしていきたい。
大学生として、学ぶという姿勢を盾に過去と向き合ってみよう。例えその先に、現実では説明できないものが待っていたとしても。その感情だけはきっと本物だから。
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