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前世の夢2

 翌日。真夏は国立国会図書館にいた。人は多いのに、シーンと静まり返っている。その静けさが今の真夏には心地よかった。  真夏は窓際の席に腰を下ろし、積み上げた民俗学関連の本を一冊ずつ捲っていく。古くさい紙の匂い。ぱらりとめくれるページの音。静かな空間に、そんな音が響いている。  ”鬼”という文字に印をつけながら読み進める。  文献によって解釈は様々だ。人を脅かす異形の存在、山野に潜む魔物、あるいは人間からはみ出した者の象徴……。現代で語られる”鬼”は実体のない存在に近い。けれど、平安以前の記録にはもっと生々しく、そして人間に近い鬼の記述が散見された。 「異形だけど、人の言葉を解する存在」 「人と通じ、愛し合ったという伝説もあり……」  そんな一文に触れる度に、胸がざわめいた。 (鬼なんてお話しの中の存在じゃなかったのか?)  思い出すのは夢の中の銀髪の人。名前も知らないその人の、微かに笑う顔。吹き抜ける風に乗って、笛の音が聞こえた気がする。  机の上にノートを広げ、抜き書きをしていく。”酒呑童子”、”茨木童子”、”大江山の鬼伝説”など、よく知られた名前が並ぶ中で、あまり語られていない資料も見つかった。  鬼と人との間に友情や恋情が芽生える話し。追いやられ、祠に祀られた鬼の話し。 (もし、夢で見たあの人が、誰にも語られた事のない鬼だとしたら?)  そんな想像が浮かんでは消えて行く。  図書館を出た後、帰り道の古書店にも足を運んだ。年配の店主に声をかけ、鬼や伝承関係の本を探していると言うと、目を丸くされた。 「若い人がまた珍しいものを……。でも夏には時々出るんだよねぇ、こういう話しに興味を持つ子」  出された数冊のうち、一冊の背表紙に「鬼と笛」という字を見つけて、思わず手を伸ばした。薄い冊子で、自費出版らしく表紙も簡素だ。  内容は、地方に伝わる鬼と、音楽にまつわる民話や伝承を集めたものだった。中ほどに大江地方に伝わる”風の鬼”の話しが載っていた。 「風のように笛を吹いて山に現れる鬼。人の姿を取り、時折、村の若者と交流した。やがて鬼は姿を消したが、その後も時折、山の祠の近くで笛の音が聞こえるという」  ページを読み終えた瞬間、背筋が震えた。 「これだ……すいません。これください」 「いいのあったのか。それね。1500円ね」 「はい」  気持ちが急いて手が震え、呟いた声が微かに震えていた。これは、あの夢に出てくる人のことではないか。確証なんてない。でも、心がそう言っていた。  家に帰ってからも、その冊子を何度も読み返した。ノートには、”風の鬼”、”笛”、”祠”、”人の姿”と言った言葉が並ぶ。  あの日、大江で聞こえた風のような笛の音。それが幻聴ではなかったとしたら? 夢と現実が、どこかで繋がっているとしたら……。  真夏は静かに目を閉じた。  あの博物館で見た笛。ケース越しに見つめたあの時の感情。あれは懐かしさではない。再会の予感だったのかもしれない。  子供の頃からずっと惹かれてきた「鬼」という存在。その理由を、自分の心がようやく教えようとしている気がする。  まだ霧の中だ。それでも、少しずつ道は見えて来ている。今はただ歩を止めず、真実へ近づいていきたい。それがどんな結末を迎えるとしても。  真夏はもう1度ノートに目を落とし、次のページを開いた。  次に向かうべき場所を、そっと書き込む。 「大江山・祠跡 再調査」

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