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前世の夢4
ひぐらしが遠くで鳴いていた。陽は高いけれど、吹く風はどこか秋の気配を孕んでいる。薄紅の花が庭に揺れ、青々とした芝の上に白い鞠がころりと転がった。
「ほら、拾え。今のはお前の番だろう」
柔らかな声が響く。振り向けば、直衣に濃い|水浅葱《みずあさぎ》の狩衣を纏った若い貴公子が笑っていた。
「……兼嗣」
思わず口にしていた。何故その名を知っているのか、自分でもわからない。ただ、その名を呼ぶことに違和感はなく、むしろ懐かしさが胸に満ちた。
「変な顔をしてどうした? まるで初めて会うみたいに」
「いや……なんでもない。ただ、なんとなく不思議な気がして」
そう言いながら鞠を拾い上げると、指先に確かな重みがあった。夢であるはずなのに、風の匂いも鞠の質感も全てが鮮やかだった。
「ほんとにお前は物思いがすぎるな。ここに来てからというもの、目の焦点も定まらないし、どこか浮ついて見える」
兼親がそう言って少し目を細める。優しいけれど、どこか寂しげな眼差しだった。
真夏――いや、この時代では別の名があるのかもしれないけれど――は思い切って鞠を蹴った。それは空に舞い、ふわりと兼親のもとへと行った。
兼親はそれを見事に足で受け、また蹴り返す。しばしの間、言葉もなく2人は鞠を交わした。庭の隅で風が木々を揺らし、御簾の影では蝉が鳴いていた。
「なぁ、兼親」
真夏がぽつりと声を落とす。
「俺は……誰を想っていたんだろうな」
兼親の足が止まり、鞠が静かに地に落ちる。
「思い人の名を忘れたのか?」
「今は思い出せてない。ただ、心の奥底に何かが刺さっているんだ。悲しみとも恋しさともつかない、なんとも言えない思いが」
それを聞いた兼親はゆっくりと鞠を拾い、手の中で転がした。そして目を伏せながら呟いた。
「お前の心にいる人が幸せであることを俺は願うよ。例えそれが俺じゃなくても」
真夏はその言葉にハッとした。兼親の声がどこか震えていた気がした。何かを押し殺すような、淡く切ない響き。
「……ごめん。なんでかお前には甘えてしまうんだ。言いたくないことまでぽろりと零れてしまう」
それに対して兼親はふっと笑った。
「構わない。お前が望むのならば、俺はいつまでも隣にいるよ。名を呼ばれなくても、思い出されなくても」
それは夢の中の言葉だった。けれど真夏の胸に、深く深く染みこんでいった。
風がまた吹き、鞠がころりと転がる音がした。
「!!」
真夏はがばりと上体を起こした。
夢を見ていた。夢の中の彼は、確かに兼親だった。今の兼親とは少し違うけれど、兼親のことならわかる。年齢は、恐らく今の自分たちとさほど変わらないだろう。
あれは蹴鞠だろうか。着ているものからも平安時代の貴族だということがわかる。
兼親が平安時代の俺の夢を見たと言っていたけれど、これもそうだろう。
これはただの夢なのか。それとも前世の記憶なのか。
ただの夢にしてはリアル過ぎたし、ただの夢とも思えなかった。きっと――いや、間違いなく――前世の記憶だ。だとしたら兼親とはその頃も友人だったということになる。
ただ、兼親の言葉が切なかった。思い出されなくても隣にいるってなんだよ。目だって寂しげな目をしていた。なんで? どうして? いくら考えても答えはでなかった。
では兼親本人に訊けばわかるのだろうか。いや、きっと同じ答えが返ってくるだけだろう。
それでもひとつわかった。兼親は自分の大切な友人なのだと。そう思うと兼親に会いたくなった。
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