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囁く声6
翌日。
博嗣は、ふと手元に置いていた”あの竹笛”を手に取っていた。
色は少しくすみ、笛の端には細かい傷があった。それらは時間の痕跡ではなく、真夏の小さな指が刻んだ想いの跡だった。
「元服前のあいつが……」
何も知らずに、ただ純粋な心で作ってくれた笛だった。それが千年の時を超えて今もこの手の中にある。
「忘れるわけがない」
小さく囁くように呟くと、ふと夢の中のあの音が蘇った。竹林の風と、月の光と、あの細く澄んだ音色。
(また聞きたい)
胸がぎゅっと締め付けられる。
会いたい。声を聞きたい。あの笛を、もう一度真夏の手から聞きたい。あの頃の真夏は笛が苦手だったけれど。
だけど、そこに浮かぶのはあの最期の瞬間だ。
――矢が飛び、血が吹き出す。自分の前で、何のためらいもなく命を差し出したあの姿。
(どうしてあの時、止められなかった?)
何度夢で繰り返しても、結末は変わらない。
手を伸ばしても、血を止めても、時間は巻き戻らない。
あれは現実だった。そして博嗣が背負うべき過去だった。
手にした竹笛をぎゅっと握りしめる。あの記憶は癒えない。けれど、それでも……。
「もう一度同じ結末を繰り返すとは限らない」
呟いた瞬間、自分でも驚いた。
過去を手放せなかったはずのこの口から、そんな言葉が出たことに。
(違う未来を作るために、今度は俺が……)
前世で救われた命。その恩をただ沈黙と引き換えに返すのではなく。今度こそ、同じ痛みを繰り返さないために、行動することが償いになるのではないか。
(真夏がこちらへ来るという未来。それを変えられないなら……)
せめて、そこにある苦しみは減らしてやりたい。
心の中に渦巻いていたものは、罪悪感だけではなかったのだと気づく。
”守る”という言葉の中には、”ただ傍にいたい”という願いも潜んでいた。
自分はずっと誰にも言えずにいた。その感情を持つこと自体が許されないと思っていたから。
それなのに、真夏は何度も夢に現れて言葉をくれた。会いたいと言った。記憶を思い出したら会ってくれるか、と問うた。その言葉を博嗣は否定できなかった。
(それでも拒めなかったのは、俺が願っていたからだ……)
真夏の中に残っていた記憶の欠片が、自分を忘れずにいてくれたことがなによりも嬉しかった。ただ、それを素直に受け止める勇気が博嗣になかっただけだ。
博嗣は静かに立ち上がった。窓の外を見ると、また山の霞が少しずつ晴れていた。
思い出す度に痛む記憶も、今は少しだけ温かく感じられた。そして思った。これから向かう未来を、あの痛みの延長ではなく、別の光として選べるのなら――
「会って確かめたい」
夢ではなく現で。
彼が自分を選んでくれるのか。自分がそれに応えることができるのか。もう一度その目で、声で確かめたい。
それは間違いなく、恋と呼んでいい想いだったのかもしれない。
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