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貴方を思い出した5
その日も真夏は夢の中にいた。夢の中で博嗣はいつもの岩の腰掛けて、龍笛を吹いていた。そして、元服前の真夏ー霞若ーは離れたところからその姿を見て、急いでかけて行く。
「博嗣さま」
霞若がそう声をかけると博嗣は笛を吹くのを止め、霞若に目をやった。すると、霞若は着物の袂から竹の笛を取り出した。
「これ……」
「笛を作ったのか」
「はい。不器用でうまくはできませんでしたが」
「貸してみろ」
博嗣がそっと笛を受けとり、しばらく笛を眺めたあと、そっと唇を近づけ笛を吹いた。
「……いい音だ」
音は浅く、震えていた。それでも博嗣はいい音だと言ってくれるのか。
「この笛を貰ってもいいか?」
「はい。こんな笛でよろしければ」
「大切にする」
所詮子供の、しかも不器用な子供が作った竹笛だ。音だって良くはない。それなのに大切にすると言ってくれるのか。それが嬉しくて胸が温かくなった。
そうだ。自分は不器用なのに、竹笛なんてものを作ったのだ。龍笛とは違う浅い音しか出ない笛だ。それでも博嗣は大切にすると言ってくれた。
夢を見ながら真夏は嬉しいと思っていた。これは夢の世界だとわかっていたのだ。
そうして景色は一転する。真夏ー霞若ーは博嗣の腕の中で泣いていた。山を降りたくないと言って。
「山をおりたくない! 博嗣さまのお側にいたい!」
「そのようなことを申すでない。夢で会えると、そう言ったであろう」
「でも……」
「それなら、この笛をやろう」
そう言って博嗣は母の形見である笛を差し出す。何があっても離さなかった母の形見の笛だ。この笛を吹くと母が近くにいるような、そんな気がした。けれど、この笛で霞若が自分を忘れないのならば、この笛は霞若にやろう。
「そんな。お母上の形見なのでしょう?」
「母上の形見ではあるが、私の形見にもなる。この笛の音だけは覚えていて欲しいから」
「博嗣さま……」
そうだ。風の音だけ。笛の音だけ覚えていて欲しいと思っていたけれど、結局は自分のことも覚えていて欲しいのだ。だから笛を渡す。それで自分のことを忘れないでいてくれるのであれば、大事な母の形見ではあるけれど、霞若になら渡せる。そう言って博嗣は大事な龍笛を自分にくれたのだ。
自分が作った拙い竹笛。そして、母の形見だと言って片時も手放さなかった龍笛。元服で山を降りる霞若に大切な龍笛をくれたのだ。
「どうか忘れないでくれ」
「忘れません。何があっても覚えています」
風が吹き、木々がざわざわと音をたて、景色が白くなってくる。目覚めの時間だ。
真夏は目を覚ました。ゆっくりと目を開け、見ていた夢を思い出した。音の浅い不格好な竹笛。綺麗な音を奏でる龍笛。龍笛は霞若が貰った。ということは霞若が山を降りた後に博嗣が吹いていたのは霞若が作った笛だということだろうか。いや、でもあれから千年以上が経っている。もう新しい笛があるだろう。それでも、自分が渡した竹笛は手元にあるのだろうか。いや、それこそ千年以上も経つのだ。もうないだろう。
けれど、夢の中でも現実ででも笛の音を聞いているのに、何故今まで笛のことを思い出さなかったのだろう。でも、これで全て思い出した。博嗣との出会い、霞若が山を降りるまでの2人。元服して真夏となり、兼親と友人として過ごしていたこと。鬼狩りがあり、内緒で山に入り博嗣を庇って矢に射たれ死んだこと。全て全て思い出した。
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