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第25話
それから当日、平日の夕方に洋たちは出発することになった。大体日没からが見ごろだけれど、車を駐める場所の確保が必要なので、早めに現地に着いたのだ。
今は廃校になった小学校の小さな校庭に、直樹は乗り入れる。シーズン中はこういった見学者のために、校舎内にも蛍保護の取り組みなどを展示していて、学校を解放しているらしい。
洋はすでに学校にいた、カメラを持った男性に話しかけてみた。
「蛍を撮りに来たんですか?」
「ええそうです。あなたたちは学生?」
はい、と笑顔で答えると、ちょっとこっち来て、と手招きされる。ついて行くと、去年開催されたフォトコンテストの写真が飾ってあるところに案内された。
「これ。俺が撮ったんだ」
「わぁ、すごい」
洋は素直に感嘆の声を上げた。そこには無数の蛍が飛び交う写真があって、光跡がアートのように写し出されている。
「残念ながらグランプリはとれなかったけどね。今年こそはと思って」
「へぇ、頑張ってください。いい写真が撮れると良いですね」
洋は笑顔でそう言うと、男性は気を良くしたのか笑顔で「明るいうちにセッティングしてくるよ」と去っていく。しばらく写真を眺めながら校舎内の奥へと進み、二階にも展示物があると知って、階段を上った。
「ってか、こういうのあるって知ってたんじゃないの?」
直樹が尋ねてくる。洋はいや、と首を振った。
「いつもばあちゃんの実家から歩いて来てたから。こんなことしてるなんて知らなかった」
ふーん、とさり気なく哲也と先に行こうと促す直樹。本当に、気が利く友人は頼りになる。
「……今年こそはっておじさん言ってたな」
「そう、だね……」
蛍や、その餌となるカワニナという巻貝の標本を眺めながら、洋は呟いた。付いてきた白川は、やはりぎこちなく返事をする。
「じゃあ俺たちも。来年こそは、二人で来たいな」
「……っ、それはっ」
やはり慌てた白川に、洋は彼を見上げて笑った。途端に視線を彷徨わせた白川だが、耳が赤くなっていくのを洋は見逃さない。
「照れてる?」
「……心臓壊れそう……」
はあ、と胸を押さえて息を吐く彼に、洋は喉の奥で笑う。照れている白川を見ていると自分まで照れそうになるけれど、そんな彼がかわいいなと思うから楽しい。
「こんなんで心臓壊れたら、手も繋げないな。俺ら恋人なのに」
「あ、う……」
洋には目標があった。この蛍観賞で、白川と手を繋ぐことだ。白川はまだ目を合わせることも大変そうだけれど、洋としては恋人らしいこともしてみたい。
しかし彼はさらに戸惑ったようだ。それきり黙ってしまったので、洋は明るく笑う。
「俺はいつでもチャンスを狙ってるからな?」
「わ、わかった……」
頼りなさげに頷く白川の耳はまだ赤い。その耳に触れたいと思ったけれど、それをしたらきっと白川は気絶してしまいそうだ、と思いとどまる。
「あ、なんだよこっちにいたのかー」
「哲也……」
振り返ると、哲也と直樹がこちらにやってくるところだった。小さな校舎なので、洋たちがいないこともすぐに気が付いたらしい。
「こっちは標本があるんだな。蛍ってこんなちっちゃいんだ」
なんだかんだで楽しんでいる様子の哲也だ。校内はあっという間にすべて見終わり、休憩場所として解放されている教室で時間を潰す。雑談をしているうちに空が薄暗くなり始めて、時刻も日没直前になった。そろそろ外に行くか、と洋は皆を促した。
校舎から道路に出て、川沿いを歩いていく。道すがら人に聞いた話によると、ここから離れた場所ほど蛍が多く生息しているらしい。
「洋、行ったことある?」
「いや、多分歩いたら結構遠いと思う。こだわらなければこの辺りでも見れるよ」
直樹の問いに洋は正直に答えた。途中で田んぼの農道に入って行き、川の近くまで行くと、水辺だけあって涼しい。先ほど話したおじさんが小さな滝の近くでカメラをセットしていて、すでに集中して画面を覗いていた。ほかにも蛍を見に来たらしい老若男女が、続々と同じ川辺にやって来る。
「ちょっと人が多いな。もう少し歩こうか」
洋が提案すると、皆頷いてくれた。もう辺りは薄暗く、人の顔もはっきりしなくなってきている。
「あ、始まった」
誰かが声を上げた。皆が指差す方向に目を向けると、遠慮がちに光る蛍を見つける。
「ほんとだ、あそこ」
洋も指を差す。そしてそこだけではなく、ちらほらと違う場所でも蛍の光を見つけた。蛍光色とはまさにこのことだな、と黄色にほんのり緑がかった光を眺める。
「あ、あっちにも……飛びながら光ってる」
直樹の声に皆も一斉にそちらを見た。次第に多くなっていく光に、洋たちも声を上げる。幻想的に見える蛍のコミュニケーションを、その場にいた人たちは楽しそうに眺めた。
「うわぁ、これは来て良かった。次は絶対女の子と来てやる」
「な? 綺麗で感動するだろ?」
蛍の光の明滅は、人を癒す効果でもあるのだろうか。じっと眺めているだけでも綺麗で、しばし言葉を忘れてしまう。
(ばあちゃん、友達と……恋人と来ることができたよ)
洋が祖母と歩いた道はここではないけれど、楽しかった思い出はずっと忘れられずにいた。そういえばあの時は、祖父は黙って離れたところで洋たちを見ていたことを思い出す。滅多に言葉を口にしない祖父が、どんな気持ちで洋たちを眺めていたのだろう、と思うと、少し切なくなった。
洋は隣にいる白川を見上げる。彼は蛍に夢中のようで、洋の視線に気付かない。そして、直樹は再びファインプレーをして、哲也と二人で先に行っている。
「……あー、哲也たち先に行っちゃったな」
「えっ? ごめんっ、歩こうか」
「いや、この先は元いた道路に出るから。そのうち戻ってくるだろ」
歩き出そうとした白川を止め、座ろうと提案すると、彼は素直にそこにしゃがんだ。洋も隣に座ると、二人で川を見つめる。
「綺麗だな」
「そ、う、だね……」
案の定、隣に座るだけでも緊張し始めた白川は、膝を抱える腕に力を込めた。
蛍の光って落ち着くよな、と呟くと、そ、そうだよね、と落ち着いてはいない様子で返ってくる。それがおかしくて笑った。
正直、いざ行動に移そうと思ったら一気に緊張してきてしまう。けれど、好きで、触れたいという気持ちはやっぱり膨らんだ。少し身体を動かし、白川の肩に自分の肩をぴったり合わせると、彼の肩が震える。
「ひ、人が……」
「暗いからわからないよ。それに、皆は蛍を見てる」
温かい体温が、肩を通じて伝わってきた。洋は膝を抱えた彼の手を取ると、指を絡めて握る。
「……っ」
白川は顔を伏せてしまった。洋も今は恥ずかしくて、白川の顔が見られない。けれど想いを込めて、握った手に力を込めれば、彼もそろそろと握り返してくれる。
「ふふっ、すげー緊張する……」
「お、おれも……」
握った手を下ろし、二人の身体の間に隠した。背後を行き交う人たちは、蛍に夢中で誰も洋たちが手を繋いでいるなんて気付かない。
(あー、やばい……)
本当のところ、触れてみたいと思うのは女性に飢えているからで、身近な白川に女性の代わりを求めているのだと洋は思っていた。それなのに肩の角張った感じや繋いだ手から感じる骨張った指が、全然柔らかくもないのに、触れることができて嬉しいと思う自分がいる。
「白川」
洋は白川を呼んだ。顔を上げてと言うと、そろそろと言う通りにした恋人が、かわいすぎてドキドキする。
「好きだよ」
自然と、そんな言葉が出てきていた。暗がりの中、辛うじて白川の顔が見えるけれど、彼はどんな表情をしているのか。
すると、白川のほうから手に力を込めてきた。それに応えるように洋も握り返すと、彼は再び顔を伏せてしまう。
「おれも……」
消え入りそうな声は、きっと今の彼の限界なのだろう。洋は咎めることなく、直樹たちが戻ってくるまでそのまま蛍を観賞した。
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