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第二章 3 再会と再会

3 再会と再会 【一般社団法人落語家協会HP】 芸人紹介(二つ目) 柏家音丸(かしわやおとまる) 本名 神谷到(かみやいたる) 生年月日 平成✕✕年5月21日 出身地 福岡県福岡市 出囃子 勧進帳 紋   丸に三つ柏 芸歴  平成✕✕年六月 柏家仁平に入門     平成✕✕年八月 前座となる 前座名「たっぱ」    平成✕✕年十月 二つ目昇進 「柏家音丸」と改名 受賞歴  国立演芸場花形演芸会金賞      NHK新人演芸大賞出場      ひたちのくに芸術大賞若手新人賞      百川落語新人賞大賞  落語家には四つの身分がある。見習い、前座、二つ目、真打である。音丸は二つ目なので前座と違って羽織も着られるし自分の出囃子もある。けれど真打ではないのでまだ〝師匠〟とは呼ばれないし弟子もとれない。  浅草から帰る電車の中で礼司は落語に関してひたすら検索しては読みふけった。  殊に音丸の情報は片っ端から読んだ。協会のプロフィールはもとより様々な情報がヒットしたが、妙に熱量が高いのが〝音丸通信〟というファンサイトなのだった。主催しているのはLilly(リリー)と称する人物である。 〝音丸通信〟には音丸の毎月のスケジュールが緻密に記載されていた。今日、礼司が見て来た浅草演芸ホールの出演についても書かれている。  三月中席夜の部の二つ目枠。開口一番のすぐ次の出番である。  ちなみに寄席は毎月十日間興行である。上席が一日から十日まで、中席が十一日から二十日まで、下席が二十一日から三十日までである。三十一日は〝余一会〟と称する特別興行がある。  音丸は三月二十日まで浅草演芸ホール夜席のあの時間帯に出演するが、余一会は池袋演芸場の特別公演〝注目の二つ目大集合!〟に顔付けされている。そして四月の上席昼の部が上野鈴本演芸場の二つ目枠である。  そういった情報を夢中で仕入れているのはもっと音丸の高座を見たいからだった。これまで感じたことのない全身全霊で魅入られるような感覚をまた味わいたかった。  中園龍平もそれには異論がないようだが、別の視点から不満を募らせているようだった。 「だから僕、止めたじゃないか。浅草には行きたくないって」 「だってツクツクの親父さんのために……」 「関係ないだろう? 僕はね、こんな格好で音丸さんに会いたくなかったの。着古したダウンは羽が飛び出してるし、パンツだって膝が出てるよ。その斜め掛けのバックもどうかと思うよ。だからドン引きされたんだよ。何その寝ぐせ?」  あくまでも礼司の頭の中だけに聞こえる声なのに、 「大きなお世話だ」  つい口に出して言ってしまう。  途端に隣に座っていたサラリーマンにじろりと睨まれた。地下鉄は仕事帰りの人々で混んでいるのだ。  病膏肓に入る……。 高校の現国の試験問題のような文章が頭に浮かぶ。   頭の中にいるこの妖を一体どうすればいいのだろう?  ……亡くなった友人?   柏家音丸はそう言った。  地下鉄駅を出ると日はすっかり暮れていた。やたらに長い一日だった。  肩を落としてとぼとぼ歩いているうちに礼司は風景が〝ちうりっぷ商店街〟ではないことに気がついた。見上げる街灯のぼんぼりには〝ひやしんす商店街〟と書いてある。  ひやしんす商店街?  どこなんだ?  仕事帰りや買い物帰りの人々が黒い影のように歩いている。  にわかにぞっとして踵を返した。来た道を地下鉄駅まで戻るつもりが、歩いても曲がってみても駅は一向に現れない。スマホのマップを開いて慎重に歩き始めるも、いよいよ見覚えのない景色に踏み込んでいる。  そうとも。今日は長い一日だったのだ。ヒストリア・グルニエでヒーローじみたふるまいをして、それから浅草見物に出かけて、あの落語家に出会った。  けれど今日の礼司の行動は大半があの妖、中園龍平に操られていただけである。自分の意志など殆どなかった。  いや、そもそも今日の記憶は本当のことなのか?  実は今日は裕奈と結ばれなかったあの日の続きであって、自分は未だに月光荘に辿り着けずに魔界を彷徨っているのではないか?  何やら狂おしい気持ちになり、やってきた中年女性に飛びつかんばかりに尋ねていた。 「すみません! 月光荘……ち、ちうりっぷ商店街に行く道はどっちですか?」 「あら、松橋さん?」  名前を呼ばれて、バッタのように飛び退った。  とっさに逃げようとした礼司の腕を掴んで、 「私達も帰るところなのよ。一緒に行きましょう」  中年女性の赤縁メガネが街灯の灯にきらりと光った。月光荘の大家のおばさんだった。 「この人、前もこの辺で迷子になってた。月光荘に行く人がここまで来る?」  おばさんの背後で猫背の人物がつまらなそうに言っている。こちらは黒縁の丸メガネをかけている。 「可音(かのん)たら。松橋さんは月光荘に新しく入った学生さんよ」 「……あの部屋に?」  今度は黒縁メガネがきらりと光る。そう言えば、あの時道案内してくれたのはこんなメガネをかけた人だったと思い出す。途端にはらはらと涙がこぼれて来た。  魔界ではない。  ここは、あの時から時間を経た現実のひやしんす商店街なのだ。  それがどこかは知れないが。  いきなり泣き出した礼司におばさんは「あらあら」とポケットティッシュを取り出して、顔を拭こうとしている。「チーンして」とでも言い出しそうな勢いである。 「だ、大丈夫です」とティッシュを受け取って鼻をかむ。  と、にわかに香ばしい肉の匂いが漂って来た。 「鳥の丸焼きよ。ひやしんす商店街の鶏肉屋の名物なのよ。朝に予約しておけば夕方には受け取れるようになってるの」  手にした乳白色のレジ袋を上げて見せる。ずっしりと重みがありそうである。 「よかったら松橋さんも食べにいらっしゃいな。可音、親戚の子が日光荘に住んでるから呼んで来たのよ。家で一緒に食べましょう」 〝日光荘〟と聞いた途端に礼司は吹き出していた。 「あったんだ⁉ 日光荘」  今度はげらげら笑い出している。もはや感情のブレーキが壊れている。猫背の可音が鬱陶しそうに眺めている。  大家のおばさんが説明するに、日光荘も月光荘も同じ時期に同じ設計で建てたアパートだそうである。今は常見可音(つねみかのん)が日光荘に住んで両方の管理人をしていると言う。だが可音当人は、 「管理人てか、ただの掃除人。玄関や外廊下の掃除をして、ゴミ捨て場の見回りと……」  うつむいたまま言いかけて、急に礼司を指差した。 「布団捨てた?」  礼司が応える前におばさんが可音の手をぴしゃりと叩いて、 「だから可音たら。他人様を指差したりしないの」  可音は手は引っ込めたものの言葉は止めなかった。 「今回はこっちでゴミ処理場に運んだけど。次からは自分で粗大ゴミ券を買って区役所に引き取りの連絡してください」 「す、すみませんでした」  歩きながら頭を下げる。 「松橋さん、ゴミの捨て方やお部屋のことも、私じゃなく可音に訊いてくれてもいいのよ。年が近い方が相談しやすいでしょう」 「二十七なんだけど。大学生と年は近くない」  可音が不満げに呟くのに礼司も頷いていた。 二十と二十七では大分年が離れている。そう言えば以前やはり二十七才の人物がいたが誰だったろう? 「でも私よりは年が近いじゃない」 「じゃあ、おーばさんはいくつなの?」 「いくつだっていいでしょう。私は可音のお祖父さんの年の離れた妹なんだから、そういう年なのよ」 「どういう年なんだ?」  ぼそりと言う可音に、またしても笑ってしまう礼司である。

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